浄土真宗には色々な宗派がありますが、
個人的には、何派だろうが、関係なくて、
大悲を説いて下さる方であれば、足を運ぶので
あります。たとえ他宗の方でも構わない。
ある先生から聞かなければ信心は起こらないとか、
土蔵秘事とか、全く用事がない。
如来の光明は無量無辺であり、遍く一切を
摂取せしめんものである。
どうして特定の人、特定の場所、特定の集団のみ
光明が照らすというのだろうか。
全く大悲を曲解している。
無分別智、無窮の大悲。本願の念佛。
底知れぬ大悲の表現が念佛なのである。
念佛のすがたをとってまで助からぬ自分を
必ず助けると立ち上がって下さり、今の今まで
育て続け、待ち続けて下さった大悲、
南無阿弥陀佛のいわれを聞くのであります。
聞こえたからには、もはや、疑おうにも
疑えない、それが如来の大悲であります。
佛様だけは決してわれらから離れてくださらぬ、
見捨ててくださらぬ、逃げるものを追わえとり、
ひとたびつかまえたら二度と離してくださらぬ、
その御心を摂取不捨と
親鸞聖人は仰っしゃりました。
南無阿弥陀佛