むなしさとともに

一切の悲しみが尽き果てるまで、共に歩む twitter(@oujouwogosuru)

追記あり 共に助けられること

自分だけ助かるとか、他の人をさしおいて、

自分だけ良い目にあうとか、味気ないと

感じる。

やはり、共に生老病死を抱えた苦悩の存在で

あり、故に如来から大悲されている。

このことを忘れてはいけないと思う。

身体の不自由な犬を見る。

先立って死んだ魚を見る。

杖をついたご老人を拝見する。

自分と等しい苦悩を抱えた存在ばかりでないか。

寂しさを抱えた人ばかりではないか。

それを忘れて、信心に酔い、念佛に

呆けてしまうのはあんまりではないか。


故に、助からぬ身に片足を置くことを大事に

したい。

南無阿弥陀


2020.03.14追記

このような記事を見て頂けると、とても、

とても嬉しいです。



本当に大切なことは、われも、かれも、

かのじょも、ともに凡夫であり、ともに

大悲されているということなのであります。


一人残らず、一匹の虫も余すところなく、

一切に大悲がかけられている、ということです。


僕は生まれてしまったことが、辛い。

親は関係なくて、自分に生まれざるを

得ない因があったから、生まれただけで、

これは、偏に僕一人の問題です。誤解しないで

下さい。皆様は皆様の道があるのですから。



しかし、僕は、生まれた以上、

ひとをひとと見出そうとする努力はやめない。


目を凝らし、耳を澄ます。



自分の本願は、一切の悲しみが尽き果てること。

本願が成就するまで、決して諦めない。


ずっと、忘れていたのです。本当に願い、

祈っていたことを。だから、むなしかったのです。

しかし、ようやく、

それを今、思い出した。だから、

本願を表現し続けることをやめない。


このことを浄土真宗では、念佛往生と申します。


この道をひたすら行けばいい、こう思っています。

欲にまみれ、怒りをいだき、根本的無知を

具足しながら、必ず至るべきところに至る。

必至滅度と申します。

如来誓願故に、必ず成就する。

その響きが今、ここで、称え、耳に聞こえる、

南無阿弥陀佛のひとこえ。

それに疑いがない、即ち自分の心と有様に

微塵の用事がないことを信心と申します。