むなしさとともに

悲しみが尽き果てるまで共に在る twitter https://twitter.com/oujouwogosuru?s=09 

3月半ばまで休みます

たびたびすみません。暫く休みます。

理由は、資格受験のため、です。

大したものではないのですが、

まず足掛かりとして、取らないといけないものが

ありまして。


知ったこと、と、できることは違う、

と言われます。

もし知っているならば、できないと意味がない。

もしできなければ、知っているとはいえない。

しかし、技術や正しい知識、基本的な理解は

必要だと考えます。


こういうことを、十地経の中では、八地で、

佛から汝は法門の一分を得たにすぎない、故に、

世間に隠された法門を修習せよ、と教えられます。

十地経(荒牧典俊訳 中央文庫)p248 起知門


人それぞれだと思いますが、世間に身を置く者と

して、世間の道理、技術、見識をもって、

衆生に立ち向かう、摂受と折伏を使い分けて、

生きていく必要を感じます。

(もちろん、それらと、念佛の大悲は

一線を画数ため、明確に分けます。

どっぷり沈むことは避けねばなりません)


つまり、優しさと厳しさの両方をもって、

最後まで生きる、ということです。


偏るのではなく、中道を往く。必要な時、

必要な場面に、相応する智慧、技術をもって

相対する。結果が出れば、衆生は黙る。

何も言えない。隙がない故に黙る。これを

狙っているのです。故に然るべき準備もしていく。


では、また。


南無阿弥陀