むなしさとともに

悲しみが尽き果てるまで共に在る twitter https://twitter.com/oujouwogosuru?s=09 

追記あり 目指すべき道がある

無上正真道。

 

念佛往生の道。

 

わが名を称えよの仰せに帰す。

 

世間は乱れていて、収束はまだ見えない。

 

しかし、各国の善良な人々が知恵と力を

 

合わせ、懸命に働いて下さっている。

 

ならば、自分も自分の場所で、

 

力を尽くそうではないか。役に立つか、

 

立たないかは分からない。

 

意味がないことかもしれない。

 

評価もされない。それでいいのだ。

 

搾取されてもいい。

 

むしろ、され続けてやる。できるだけの

 

ことをやってやる。良いか悪いか、知らん。

 

自分は自分にできることを、自分をやって

 

いくだけで事足りるのである。

 

 

常に如来ともにまします。

 

その証が今ここで称え、耳に聞こえる

 

念佛であり、本願に疑いなきを信心という。

 

如来から回向された道。万人に、平等に、

 

与えられた道がある。

 

必ずいつか大悲は届く。だから、僕が

 

心配する必要はない。この道を往けばよい。

 

南無阿弥陀

 

2020.04.01追記

 

知らなかったのです。自分にも本願が

 

あったことを。

 

すべての悲しみが尽き果てること。

 

これが自分が心から望むことです。

 

身も心も凡夫でありますが、

 

やはり、思うのです。いつかこの悲しみが

 

生存が終わりますように、と。

 

だから、この娑婆で搾取されようが、

 

評価されまいが、のたれ死のうが、

 

問題にならないのです。

 

これは自分の問題なので。本願が

 

人間を人間にするのでしょう。

 

やっと思い出したのです。