『大悲経』に云わく、「いかんが名づけて
「大悲」とする。もし専ら念佛相続して
断えざれば、その命終に随いて定んで
安楽に生ぜん。
もしよく展転してあい勧めて念佛を
行ぜしめる者は、これらをことごとく、
大悲を行ずる人と名づく」と。
(顕浄土真実教行証文類 信巻)
専ら今ここで口に称え、耳に聞こえる、
南無阿弥陀佛を頂きなさい。一声一声が
このように念佛を自ら実践し、
教えて下さる方を常行大悲の方と仰ると
親鸞聖人は引用なさっている。
特別なこと、立派なこと、社会の役に
立つこと、どれもみな落第です。
今、ここでわが名を称えよと仰せ下さるので
あれば、称え、聞かせて頂くよりほかに
自分には何一つ道がありません。
あるのは貪瞋ばかりで、とどまることも
ありません。出続け、流れ続けています。
故に、
大悲の方のお勧めに随い、念佛を申します。