むなしさとともに

悲しみが尽き果てるまで共に在る twitter https://twitter.com/oujouwogosuru?s=09 

大悲を行ずるとは

『大悲経』に云わく、「いかんが名づけて

 

「大悲」とする。もし専ら念佛相続して

 

断えざれば、その命終に随いて定んで

 

安楽に生ぜん。

 

もしよく展転してあい勧めて念佛を

 

行ぜしめる者は、これらをことごとく、

 

大悲を行ずる人と名づく」と。

 

顕浄土真実教行証文類 信巻)

(東真宗聖典p247 118)

 

専ら今ここで口に称え、耳に聞こえる、

 

南無阿弥陀佛を頂きなさい。一声一声が

 

如来のおでまし、一声一声が浄土真宗

 

このように念佛を自ら実践し、

 

教えて下さる方を常行大悲の方と仰ると

 

親鸞聖人は引用なさっている。

 

特別なこと、立派なこと、社会の役に

 

立つこと、どれもみな落第です。

 

今、ここでわが名を称えよと仰せ下さるので

 

あれば、称え、聞かせて頂くよりほかに

 

自分には何一つ道がありません。

 

あるのは貪瞋ばかりで、とどまることも

 

ありません。出続け、流れ続けています。

 

故に、

 

大悲の方のお勧めに随い、念佛を申します。