想起。
やっと出遇うべきものに遇えた。
ようやく自分の願いを思い出した。
一切の悲しみや痛みが終わることが、
自分の根源的な願いである。
差異がなく、差別もない。
貧富もなく、美醜もない。
自由と連帯と尊厳があり、争いや憎しみは言葉すら存在しない。
大悲と智慧に満ち溢れている世界に生まれたい。
自分は全くの凡夫であり、煩悩の身から一歩も離れることができない。
昨日も首筋に何か感じたので、指で触れると、虫が居たらしく、指に潰れてしまった。
意思はないけれど、過失であろう。
煩悩とは無限の過失かもしれない。
苦諦。集諦。煩悩ある故に一切が苦である。
ただ、浄土真宗の念佛の教えではこれでは終わらない。
ここに無限を超える無限大悲まします。
だからこそ、汝を浄土に生まれさせ、必ず佛の悟りを開かせん。我が名を称えよ、という如来の仰せまします。
仰せに呼応し、念佛を申し、聞く。
浄土真宗の念佛は聞名である。
佛の名をひたすら聞くのであります。
言葉のすがたをとってまで寄り添い慈しみ大悲下さるほとけさまの願心を聞くのであります。
その大悲がわが心の底に至り届き貫かれて無根の信心が発起せしめられるのであります。
煩悩具足の凡夫故に弥陀の願心に依って往生決定なのであります。
佛様が往生決定と仰る故に往生決定。
僕はただの凡夫。浄土もわからぬままに
念佛を聞かしめられるばかりで、他に
特別なことがあるわけではないのです。
お互いほとけさまから愛され信じ切られているともがらであり、そのことを十方衆生と申します。