病気の根源
その病の根本とは何か。対象をとらえることが根本です。対象としてとらえられたものがある限り、そのものが病の根本であります。何をとらえているかというと、全世界(三界)を対象としてとらえているのです。
対象をとらえるという病の根本を知るとは何か。それは、とらえないこと、見ないこと(不可得)であります。見ないとは対象を取らないことであり、何を見ないのかといえば、それは内にある(主観)と外にある(客観)と、二つの観を見ないのであって、それゆえに見ないといわれるのです。
主観と客観を見ない、とはどういうことなのだろうか。
これは言葉であるが、この言葉を生み出す思想、土台とは何なのだろうか。
如来の悟りとは一子地といわれる。衆生と自分を分けて見ない故に、抜苦与楽を諦めない。
本当の苦悩の原因を抜断することをどうしても成さざるを得ない。
如来の作願をたずぬれば
苦悩の有情をすてずして
回向を首としたまいて
大悲心をば成就せり(親鸞聖人)
どうしても菩提心、仏に成りたいという意欲が起こらないもののために、菩提心までこしらえて下さって、今、ここに、この身に、南無阿弥陀佛と喚びかけて下さっている、と善知識は仰る。
生活を通して、大悲の心を尋ねたいと思う。
厳しい世界、冷たい有情が溢れ返ったところがこの世界だと思う。
ここで自分が頂いている大悲を如何に表現するか、どう現すか、これが今、問われている課題であり、仏法で、問われるのは常に自身の在り方であり、他者の話ではない。
今、ここにいる、自身の在り方が問題である。