むなしさとともに

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不安と怯え

根本的に不安と怯えを抱えていると思う。

 

捨てられるのが怖い。要らないと言われるのが 怖い。

 

怯えがあるから、他者を信頼できない。

 

怯えがあるから、他者を攻撃し批判する。

 

怯えがあるのは、不安だからだ。

 

不安とは、不安定である。

 

ふらふらして、定まらない、揺れる。

 

 

残念ながら、不安はなくならない。故に怯えもなくならない。

 

では、どうするか。

 

不安定な自己を不安定な存在と知らされること以外に不安定を超える術はない。

 

不安定であることを自覚せしめられることこそが、中点に還ることになる。

 

自分の顔は自分では直接見れない。 

 

鏡のように姿を映してくれるものを通して

見ることができる。

 

映されたすがたを見ればわかる。

自分は根本的な不安を抱えた脆弱な者であったのか、と。

 

それが不安定に対して、決定、

あるいは、一定(いちじょう)である。

 

 

 

鏡とは教えである。教えは仏説である。

念佛は智慧であり、光明であり、大悲のすがたである。

 

大悲が智慧を回向せしめてくださる。

 

真宗とは仏様の回向によって助けられる宗教であります。

 

不安定なものだからこそ、支えずばおかない。われ、汝と共にいる、と喚びづめのはたらきがかかっている。

 

そのはたらきの具体的な相が南無阿弥陀佛ということばである。

 

このことばが、わがためのことばであったと知らしめられた時、佛との邂逅を果たすのであります。

 

それを信というのです。