最近、ずっと考えている。
凡夫には、自分を凡夫だと自覚することはできないはずだ、と。
なぜ自覚できるか?必ず自分は凡夫であると。
その理由はひとつ、光が届いておられるから。
だから、自分を嘆くことやめ、専ら大悲を憑めと先達、善知識は仰せられる。
未生怨の汝よ、我が名を称えよ、決定して往生浄土せしめん。
この一点なのだ。八地以降と七地で全く異なるのは。
このことを教えて下さった、藤谷秀道先生に
深く感謝する。
また道を求めていきます。共に聴聞してまいりましょう。
南無阿弥陀佛
光明が八地以降のはたらきを展開して下さる。いよいよ自分は全く助からない。助かる縁手がかりの尽き果てた存在が自分であったと繰り返し知らされて、また忘れての繰り返し。
助からない身であると知らされること以外に助けられることなどない。
地獄に往くことに躊躇がない。必ずになお重ねて必ず地獄に往くだろう。そういう生活をやめる力がないのが自分である。
助からないのは誰でもない。自分自身である。
躊躇ないことを無功用という。見返りを求める必要がない。