むなしさとともに

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どうして聞法に行くのか

聞かねばならない、助からぬ身を離れることがどうしてもできないからだ。

 

どうやっても、この心身の影響を受けざるを得ない。

 

この身は無明住地から生起しているので、余すところなく円満に煩悩に染まっている。

 

しかし、だからこそ、汝を助けんという念佛の大悲が、今ここに常にかけられている。

南無阿弥陀佛とは、助からない者を必ず助けるという誓いである。

 

故にある意味では、南無阿弥陀佛ひとつが憑みであり、他の一切では間に合わないのが、この自分なのである。

 

助からない者と自覚せしめられたことが、実は助けられたことを意味する。

 

深信とは、言い訳が一切できないこと。ここには反論の余地はない。即ち決定であります。

 

南無阿弥陀