天親菩薩の論、註解して、如来の本願、称名に顕る(浄土文類聚鈔親鸞聖人東聖典p412)
かたちを必要としないものが、あえて自分を捨ててかたちを選んで下さったのが称名である。
あの人は誠実な人だ。
何を以てあの人を誠実とする?
彼、彼女はどんな人にも礼儀正しい。
彼、彼女は寄付を続けている。
彼、彼女は常に言葉に気をつけている。
彼、彼女は最後まで人の話を聞く。
誠実といわしめるのは、その人のすがた、すなわち一貫した行によって、である。
どんなに美辞麗句を並べ、理想を語っていても、足元のゴミ一つ手を汚して拾えない、むしろ道端にゴミを捨てるような人は信頼に値しない。
但し、かたちだけに囚われて、心が籠もっていない行は力がない。
南無阿弥陀佛は願行具足。心と救う力が兼ね備えられている。
故に如来の本願、称名に顕る、と仰せられている。
この大悲の一句に如来の血と汗と涙が籠もっている。だから、聞けよ聞けよ、聞くばかりだと善知識は教えて下さる。
南無阿弥陀佛