むなしさとともに

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ZOOM研修会でお話したことの引文

一週間前に、ZOOM研修会がありました。

 

主催の一員ということで、お話をさせて頂きました。

 

僕は僧侶ではないですし、教学もないですし、講義ではないので、あえて聖典をめくることはしませんでした。

 

しかし、聖典の言葉を引いてお話はしたつもりなので、ここにかかるものを簡単に残しておきます。

 

もし、よければお東の聖典をめくってみてもらえればと思います。

 

今回言いたかったことは、法蔵菩薩の大悲に触れれば自ずから信心が発起する、ということです。

 

自分に信心はないと知らしめて下さるのか如来回向の真実信心でありましょう。

 

具体的には、今、ここで、この身のこの口に称えさせ、聞こえて下さる念佛の他に如来はなく、本願もない、ということです。この南無阿弥陀佛に助けられて往生せしめられるのであります。

 

これだけはいいたかった。

 

ご讃題 東聖典p183-184

ああ夢幻にして真にあらず、寿夭にして保ちがたし。呼吸の頃に、すなわちこれ来生なり。一たび人身を失いつれば、万劫にも復せず。この時悟らずは、仏もし衆生をいかがしたまわん。願わくは深く無常を念じて、いたずらに後悔を胎すことなかれと。

※和田稠先生がこの文章を読まれておられたのを耳にし、何とも言い難いものを感じた。それを思い出し、今回のお話の冒頭にご讃題として出させて頂きました。

 

法蔵菩薩の眼目 p13

我世において速やかに正覚を成らしめて、もろもろの生死·勤苦の本を抜かしめん。

 

法蔵菩薩の覚悟 p13

たとい、身をもろもろの苦毒の中に止るとも、我が行、精進にして忍びて終に悔いじ。

※この一句に大悲がこもっている。

 

如来の仰せ p207

極重の悪人は、ただ佛を称すべし。

南無阿弥陀佛とは、極重悪人唯称佛名。

 

極重の悪人とは、いったい誰か。

 

具体的には、今、ここに存在してしまっている僕自身のことでしょう。

 

念佛せざるを得ない身を具足してしまっている僕に南無阿弥陀佛、我が名を称えよ。

 

お前を何があっても我が浄土に往生せしめ、佛にする、だから心配するなの声が南無阿弥陀佛。

 

念佛とは聞くものである、と、もう一人の師の常の仰せを頂くばかりです。

 

常に念佛に帰れ、と。

 

我は汝を場とし、名となり声となりて、はたらこう。

 

我至成仏道名声超十方

重誓名声聞十方

 

南無阿弥陀

 

第5回、ぜひお会いしたいものです。

来年、互いに、おいのちがあれば。