むなしさとともに

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宗祖親鸞聖人より①人と生まれて

ああ夢幻にして真にあらず、寿夭にして保ちがたし。呼吸の頃に、すなわちこれ来生なり。一たび人身を失いつれば、万劫にも復せず。この時悟らずは、仏もし衆生をいかがしたまわん。願わくは深く無常を念じて、いたずらに後悔を胎すことなかれ。

聖典p183-184、宗祖親鸞聖人

 

東本願寺出版部より、宗祖親鸞聖人という小さな赤い冊子があります。この冊子を元に和田稠先生が勉強会をされておられ、このお言葉を聞かせて頂きました。

 

文意がありますので、以下に記します。

 

ああ、人の世は夢幻であって、まことでない。いのちはかなくて、いつまでも留めることはできない。ひといきの間にこの世は過ぎ去ってしまうのである。ひとたびこの身を失えば、永遠にかえってくることはない。今ここにおいてさとらなければ、仏もまたなすすべもない。願わくば、人生の無常を深く心に留めて、悔いなきいのちを生きてほしい。

 

人の身を生きることは、並大抵ではないと感じます。皆様はどうでしょうか。

 

最近は、何故かアクセス数が増えております。先日の研修会の影響かどうかは、わからないのですが。でも、何かしら引っかかるものがあって、こんな辺鄙なブログを見て頂けるのかなと思っています。

 

 

なんとわなしに寂しくないですか?悲しくはないですか?わかり合えないなと思いませんか?そして、苦しくはないですか?

 

 

よくよく考えると、自分で選んでここに来たわけではないのです。気がついたらここにおったというか。なんだろうか、この生きるということは、と思うのです。

 

でも、何故か、このことを疑問に考えて悩んでいる人はあまり見かけません。やはり、憑むものが沢山あるのでしょうか。

 

いたずらに後悔を胎すことなかれ、とは一体何を指すのか?

 

おそらくは深信自身、己を知りなさいということなのでありましょう。煩悩を滅するのではなくて、煩悩を煩悩と知れ、というのが智慧なのでしょう。

 

親鸞聖人が教行信証の行の巻に、この引用をされているお心を、もう少したずねてみたいと思います。

 

煩悩は全く止みませんが、忘れた頃に念佛聞くばかりで、特に何もありません。

 

南無阿弥陀