むなしさとともに

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徒然なるままに

徒然なるままにひぐらし、硯に向かいて、でしたよね。徒然草って。

 

小学生の時、徒然なるままに、という言葉を聞いて以来、何となく、この言葉の響きが好きです。無理がない感じ、自然に流れる感じがするのです。

 

念佛往生の願というのは、仏さまのおはたらきで、摂取不捨の利益に摂め取られ、阿弥陀佛の浄土に往生せしめられることだと思う。

 

念佛は大悲のおすがた。我が名を称えよとは我が名を聞けよの仰せ。

 

念佛とは聞名であると、師は常に教えて下さる。師の念佛される後ろ姿をいつも拝見し、思い出す。

 

汝は真宗門徒かと問われたら、いやぁ、そんな尊いもんじゃないといわざるを得ない。

 

全くのただびとである、即ち、残念ながら自分は凡夫ですと答えざるを得ない。

 

それでいいのである。力もうが力ままいが、わかろうがわからまいが、共に助けられるわれらなのである。

 

汝、我が名を称えよと如来が仰せ下さるのならば、自分はなんまんだぶと称えざるを得ない。だって、道は何一つ遺されていないのだから。

 

凡夫に凡夫と自覚せしめられるのは、智慧のおはたらきであり、この智慧の大悲を憑むのであります。

 

助からぬものを必ず助け遂げずばおかないと仰せ下さるのが弥陀の本願である、と常の師のおすすめに寄りかかるばかり。

 

念佛往生とは念佛による如来直々のご教化、お育てに与ることだろうと感じている。

 

南無阿弥陀