むなしさとともに

悲しみが尽き果てるまで共に在る twitter https://twitter.com/oujouwogosuru?s=09 

追記あり:暫く間があくと思います

ここのところ、ブログのようにまとめて書くというよりは、その時々に、例えば、出勤、帰宅中のようなタイミングで使えるツイッターが主になっています。

 

また、聴聞それ自体も、コロナ禍では慎重にならざるを得ず、休日は家で過ごす有様です。

 

仕事も恐らく来月から少しタイトになると思われます。

 

こうした背景があって、暫くこのブログは更新がとどまるかと思います。

 

今思いますことは、南無阿弥陀佛という名となり声にまで成って下さる大悲のほかに本当に憑むべきものがない、ということです。

 

もう少し深めた言い方をすれば、南無阿弥陀佛になる以前の大悲の願心、すなわち、タノメタスケルの仰せによりかかり、より憑むだけです。

 

智慧のはたらきとは、煩悩を滅するのではなくて、煩悩具足の凡夫に煩悩具足と知らしめて下さる。故に如来智慧なり、光明なりと親鸞聖人は仰せになると感じる。

 

知らされる時に痛みが伴うし、世間的な幸福になるわけでもなく、年を取らなくなるわけでもない。

 

人格者にもならない。いよいよ助からぬ自身であると知らしめて下さり、南無阿弥陀佛のありだけの大悲をもって摂取下さる。

 

今、ここで、ね。

 

では、また。暫くおいとまを。

 

 

※多分ちょうど2ヶ月後くらいにまた戻ります。

 

南無阿弥陀

 

2021.4.15追記

 

試験は受かりました。次に進みます。資格はそれ自体が目的ではなく、引き出しは多いほうがよく、意欲があることを客観的に示すことができます。また引き出しを組み合わせて応用したり、新しいことを創出する材料となります。娑婆世界ではどうやっても競争と比較、他者からの搾取は免れません。これらに耐えうるための模索の意味もあります。