むなしさとともに

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歎異抄聴記③欲生

しかるに、真実信楽が法爾の道理によって内に欲生を開き、外に開くのではなく、内に開く。内に開くのを等流という。(中略)他力信であるかという自覚自証の原理は願にあり、欲生にある。(中略)真宗学の問題は欲生の問題である(歎異抄聴記p41)

 

願成就の信であったのか。

 

願成就のお念佛であったのか。

 

念佛の信心の因は如来の本願、即ち、

 

決定して汝を必ず往生成仏せしめん、

 

我能く汝を護らん、の大悲欲生の御心。

 

煩悩具足の汝よ。我已に遍くそれを知る。

 

知る故に決定して悲心抜苦せずばおかない。

 

佛の願いが今ここに成就下さり、お念佛せしめ、お念佛聞かしめ、お念佛を信じせしめて下さる。

 

タノメタスケル、我常に汝と共に居る、との如来勅命の仰せが南無阿弥陀佛。

 

助からぬ身に必ず助けて下さる本願念佛の無限なる大悲が常に垂直不断に降り注がれている。

 

絶えずお念佛に帰りなさい。

 

これが曽我量深先生の御心でもあるのだろうと感じる。

 

南無阿弥陀

 

※現在、仕事が繁忙であることと、この御本が非常に難しいことから、更新のペースが遅くなりがちかと存じます。ご容赦下さい。Twitterはわりとやってます。長文になるとまとまった時間が要りますね。では。