むなしさとともに

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再び原点を掘り起こす

10/30(土)31(日)開催予定の第5回みちのかいのテーマについて、

 

【再び原点を掘り起こす】とさせて頂きます。(こちらについては、現在案内状を作って頂いており、もう少しお時間を頂戴します)

 

このテーマについて記載したいと思います。

 

第4回のテーマは【原点の迷失】でした。

 

つまり【原点を常に見失うわれら】なのです。

 

【忘却する】といった方がいいのかもしれない。

 

宗教の問題は【心】だと思っていたのですが、違いました。

 

これは【存在】の問題だと思うのです。

 

僕らは【現し身】を持っていて、各々が生活をしている。

 

この【現し身】が展開する生活の相に【心】も包含される。

 

【現し身】といっても自分の身だけではなく、世間、世界を含めた身、つまり【現実】であります。

 

身土不二でしたか。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E8%BA%AB%E5%9C%9F%E4%B8%8D%E4%BA%8C

 

身と世界は分けられない。身は世界に属するものであり、土は身が展開する世界。

 

しかし、身土を身土足らしめるものがあります。

 

前者の土は世界を意味しますが、ここで述べたいのは【大地】であります。

 

衆生が、植物が、育まれ、水の潤いを含んだ大地。

 

大地がなければ世界はない。

 

大地とは法性であります。法性がおすがたを選られたのが【大悲】であり【智慧】であり【如来】であります。

 

これらを一句でおさえた真実の言葉が【南無阿弥陀佛】であります。南無阿弥陀佛といっても【互いが称えさせられ、聞こえて下さるお念佛】のほかに南無阿弥陀佛はありません。

 

つまり、【大地を迷失している】と思うわけです。

 

それを掘り起こしたいわけです。

 

忘れてはならぬ、何度も、何度でも、大地に帰らねばならないのです。

 

 

みちのかい、という集まりは、市井のひとびとの集まりです。オンラインとなりますが、共に身に引き当てて聴聞する機会にしたい、と僕は思います。

 

 

昨年はツイッターでやりとりが始まった方がお一人参加して下さり、お一人が問い合わせして下さりました。

 

 

何かあればどうぞコメント等で問い合わせ頂ければ幸いです。

 

南無阿弥陀

 

大地は気がつくよりも先んじてすでに足元に在る。