みちのかい、という聴聞の場がひらかれるまで、あと二週間となりました。
会が終わり、家に着くのは10/31(日)21時過ぎくらいになると思うので、そこまでは気を抜けないと思っています。家に帰って、初めて終わります。
今回は地方の聞法会と日程がかなりかぶっているらしく、今まで3 0名以上ご参加頂いておりましたが、少し少なめになるかもしれせん。
もしご興味があれば、お気軽にお尋ね下さい。僕自身も総務として、何度か挨拶やお話をさせて頂く見込みです。
先生のお名前を直接お出しするのは、恐縮なので控えさせていただきますが、光闡坊御住持の先生です。お東で聴聞されておられる方であれば、ご存じではないかと思います。
先生はとても厳しいです。ずっと思索されておられるように思います。しかし、その後ろに優しさがある。にんげんであることの痛みを知っておられる、僕はそう思って六年ほど聴聞させて頂いております。
さて、真宗は聴聞に極まるといわれますが、確かに骨折って聞け、というのはとても大事だと思います。特に、身を通す、ということが要でありましょう。
しかし、では、何を骨折って聞くのか?
ここが大事であります。阿弥陀佛の本願のいわれを聞く。
大悲がどこから出発されておられ、今ここに念佛にまで成って下さっているのかを聞く。
骨折ってくださっているのは、法蔵菩薩であり、僕ではないのです。僕は自分自身の始末ができず、自分自身さえ対象化し、モノとしてしか見られないような心を抱えて、うずくまり、泣いているような存在です。
だからこそ、お前をわが浄土に往生せしめずばおかない、汝のための浄土ぞ、必ず往生させてくれよ、と佛さまの方が頭を下げておられる。
南無阿弥陀佛の一声に、佛さまの願いがこもっている。
お互い、身に引き当てて、大悲を聞く。そのような機会になれば、と思っています。
南無阿弥陀佛