むなしさとともに

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苦悩の起点 善知識に遇えないということ

結論をまず先に。

 

善知識はいないのではない、自分に善知識を見出す力がないから、見えない。

 

時節到来ということがある。機縁が熟して露わになる、気がつくということ。

 

これを自分なりに表現し、苦悩の起点の考察を終わる。

 

僕は空虚であったので、意欲がなく、成りたい職業もなく、行きたい進路もなく、成りたい人間像も持ち得なかった。

 

ただ、大学四年の頃、ある企業の内定者研修があり、そこで鍵山秀三郎という人を知った。

 

僕はこのとき、初めて鍵山先生を知ったのだが、身体に稲妻が走ったのを覚えている。

 

鍵山先生がグレイチングを掃除されている映像を見た時だった。

 

何だ、このひとは。このひとは本物だ、と。

 

本物とは、目指すべき方向であります。初めて、この人のように、あたたかいひとになりたいと思った。そして、道を求めるということが始まった。僕の場合は、十九願、諸善をひたすら求めるということ、だったのかもしれない。

 

その後、鍵山先生の本を読み、できる範囲で掃除と複写はがきに取り組みつつ、仕事をしていた。実際にお会いできたこともあった。

 

若かったので、不良債権になる前に、会社の決裁を得た上で、裁判所を通じた法的措置をとったり、東京のお会社に取り立てに行ったりしたこともある。経理の仕事は座って計算するだけではない、そういう泥臭いことにも身を通してきた。

 

誰も手を挙げないので、倉庫に出向し、経理の仕事をしつつ、複数の業務を並行で対応したこともある。

 

倉庫の不用品を交渉し、有償で引き取ってもらったりもした。

 

そして、仕事が終わって、専門学校に通い、資格も得た。

 

若かったからできた、と言えるし、それらが無駄だったとも思えない。今の自分に大きい影響を与えていることは間違いないとも思う。ただ、その一切は雑行であった。

 

22歳から32歳まで僕はほぼまったく聴聞をしなかった。する気が起こらなかった。朝の勤行もしないし、念佛もしない。

 

なぜか。

 

僕は、やればできると思っていた。やれば鍵山先生のような人間になれると思っていた。しかし、それは間違いで、自分の抱える迷いはそんな軽いものではなかった。

 

まぁ、本当のところは、もう目指すべき方向さえも見失っていました。別に助かりたいとも思わなかったし、ただ、何とか自分で生きていかなければならない、と思ってガムシャラにやっていました。そこで、転職をはじめとして、複数の挫折経験が訪れ、ボロボロになるわけです。

 

挫折とは誰もが避けたいものです。しかし、これもまた機縁が熟せば避けることはできません。ただ受けていくしかありません。

 

 

そして、本当は自分以外の誰かになる必要がなかった。なれもしない。そのことを知らされる日々を今過ごしています。

 

そして、そのことに僕は満足しています。

 

ほとけさま、如来、とりわけ、僕は大悲ということが多いが、これはおはたらきを指してそう言うのであって、そういう実在があるのではない。

 

如来智慧なり、光明なり、と親鸞という人はいう。

 

主体と客体、照らす光と照らされるもの。

 

主体は常に法であり、自分は常に客体である。しかし、法は決して機を離れてはたらくものではない。

 

汝凡夫よと照らされるところに、先立って照らす光源がある。

 

その光源からよきひと、善知識が現れて下さる。

 

実は、真宗に縁がない方であっても、鍵山先生のように道を求める縁を下さるひとも善知識なのだと思います。

 

ただ、諸仏と言う場合、その人が勧めるのはお念佛ただ一行であります。これは阿弥陀経に教えられていることです。

 

まとまりがなく、長くなってしまいましたが、生きていれば色々なことがあります。

 

腹が減った人は食べ物を求める。

 

どのひとも精神的に飢えねば道を求めるということは起こらないのかもしれません。

 

飢えを何かで誤魔化してはいけない。凝視し、耳を澄まし、足跡を捉える必要があります。

 

 

 

南無阿弥陀