むなしさとともに

悲しみが尽き果てるまで共に在る twitter https://twitter.com/oujouwogosuru?s=09 

(はたらき)ということ

大悲とは名詞でなく、動詞であろうと考えます。

 

つまり(はたらき)であります。

 

傍観者ではなく、当事者になろうと動く。はたらきかけていく。

 

事の大小はあるでしょうが、自分の持ち場、役回りの中で、やれることをやっていく、ということです。

 

善悪はあまり興味がありません。自分がやれることをやることに重きを置きます。

 

評価は他者が行うものなので、自分にはどうにもなりません。なので、自分か具体的に動いていくことに重きを置きます。

 

心境に留まらない、ということが大事なのだなと思います。心境に留まると、どうしても、自分と異なるもの、異なる人が気になります。顔も性格も違うし、人生が違うのだから、違って当然なのですが。

 

しかし、われらに通底するものがある。

 

それが、現し身を持った存在である、ということです。

 

また、苦悩を感受する者であるということです。

 

このことを忘れてしまっては、平等など啓くわけがありません。

 

やはり、日々新たに求め続けていく、ということが、ザルを水に浸すということであり、川は海に流れていくということだろうと思うことです。

 

すなわち行は大事だ、という話でした。

 

阿弥陀仏のはたらきを大行と親鸞聖人は仰っしゃりました。

 

大行というは、すなわち無碍光の御名を称するなり。

 

この自分に念佛を申せしめることにおいて、自分に念佛申す心が微塵もないことを徹照して下さる。そのことが確かである。

 

本願念佛とは、大いなるおはたらきであります。

 

南無阿弥陀