それまでは、人の言葉、として聞いていた。
そして、都合の良いところだけ、聞いて、
悪いところを切り捨てていた、そういう聞き方だったと思う。
ただ、
今となっては、まことの言葉として、頂かなければな、と
思っている。
まことは、自分にとって、都合がよかろうが、悪かろうが、
全く関係なく、貫いている。
いつでも、どこでも、誰でも、貫かれているものでなければ、
まこととは云えない。
寿命無量、光明無量とは、いつでも、だれでも、どこでも、常に、
ということだと味わう。
有難いことだと思う。