むなしさとともに

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2017-01-01から1年間の記事一覧

聞くことまことに尊し

聞くばかり。 言葉を聞く。話を聞く。仰せを聞く。 有縁の方をただの人と思うな。 目の前の人は法蔵比丘が必ず佛に仕上げるという願をかけた人なり。 よって、ただびとではなく、いずれ必ず如来になる人なり。 佛の説法と思って聞けば、琴線に触れる言葉が隠…

ナントモナイ

心境に変化が起こるのか? ナントモナイ 日常が有難くなるのか? ナントモナイ 一体何が助かるのか? ナントモナイ 念佛して何になるのか? ナントモナイ 一体何がどうなるのか? ただ念佛を称え、称えれば耳に聞こえる。 耳に聞こえる念佛は、タスケルの仰…

仰せが佛法

自分には他力は分からない。不可称不可説不可思議の故に。 ただ、お前を必ず助けるぞ、間違わさぬぞの仰せがただただ嬉しい。 仰せとは、今わが口に称えさせられ、耳に聞こえてくるお念佛。 それ以外にない。故に勅命と親鸞聖人は仰った。 お念佛が聞こえる…

善知識

佛縁を下さった有縁の方を善知識とお呼びする。 自分にとっての善知識を考えてみたい。 善知識 - WikiArc ・祖父。一声も念佛しなかったが、間違いなく地蔵菩薩の化身だと思う。 ・妻。彼女が居なかったら多分死んでいただろう。ただ傍にいてくれることが、 …

親鸞に出遇ったひとびと

タイトルの本は、読んでほしい本であります。 カテゴリーに「ふれてほしい本」を加えました。 時々紹介できれば、と思います。 https://www.amazon.co.jp/%E8%A6%AA%E9%B8%9E%E3%81%AB%E5%87%BA%E9%81%87%E3%81%A3%E3%81%9F%E4%BA%BA%E3%81%B3%E3%81%A8-%E7%…

自力を尽くす

自力は他力の中において、はじめて全力を尽くすことができると思う。 滅ぶなら滅べ。死ぬるなら死ね。 出遇うべきもの、聞くべきものに今遇うことを得た。 念佛が本願海に何度でも何度でも呼び戻す。 われをたのめ、必ず助ける、と仰せ下さる阿弥陀如来。 阿…

煩悩具足

煩悩具足、煩悩成就の身である。 凡夫というは無明煩悩われらが身にみちみちて、欲もおおく、 いかりはらだちそねみねたむこころおおくひまなくして、 臨終の一念に至るまでとどまらずきえずたえず(一念多念文意) どんだけ信を獲たとか、わかったとかいっ…

助かるのではなくて助けられる

真宗の救いとは、自力無効である。 わが力及ばず。 あるいは、わが身、わが心の浅ましさを智慧によって知らされる。 煩悩がなくなるのではない。煩悩を滅することは今生では不可能である。 また苦しみ悲しみがなくなることはない。ここは娑婆だから。 堪忍の…

雇用

人間が憑みにしているものに、会社(組織)がある。 会社の役職、役割、仕事によって、生活が支えられている。 大企業、中小企業さまざまであるが、やはりその場によって、 支えられているといえる。 佛教とは如実知見、ありのままを観察する、智慧の教えで…

孤独

人間は決定的に孤独である。 しかし、孤独を抱える者は決してひとりではない。 分かり合えねど、孤独を共に背負うものを友という。凡夫という。 おそらく今日を最後に、二度と会わぬ者に言えぬ言葉をつづる。 さようなら。 南無阿弥陀佛 心は必ず相をとる。…

本願海

海には波がある。 海はとどまらない。流れ続ける。 苦しみは絶えない。自分の浅ましさも止まない。 しかし、本願は大悲の海であり、智慧が満ちている。 智慧の波によって、わが身と煩悩を遠くにさらっていく。 みえなくなる。すぐに忘れる。執着しない。どう…

佛智疑惑

どうしても如来のことを、如来の教法を信じることができない。 いくら聞いても、いくら善行を行っても、何にも変わらない。 どうしても煩悩が雑ざる。そもそも善行かどうかを決める主体は自分であり、 善行である根拠がない。何も分からないではないか。 世…

唯信佛語決定依行

愚禿鈔のお言葉である。 ただ佛語を信じ、決定して行に依る(註釈版真宗聖典P522) 自分の場合、最後にとどめをさされたのは、佛説であるということだった。 凡夫の言葉ではなくて、佛のお言葉である。 そのお言葉が「無量寿佛の御名をたもて」ということで…

キェルケゴールの日記

根本的なことは、私にとって真理であるような真理を発見し、 私がそれのために生き、 かつ死ぬことができるような理念を発見することである。 いわゆる客観的な真理などを発見したところで、 それが私にとって何の役に立つというのだろうか。 (哲学の歩き方…

往生礼讚

もし衆生ありて阿弥陀仏を称念すること、 もしは七日および一日、下十声乃至一声、一念等に至るまで、 かならず往生を得。この事を証誠したまふが故に護念経と名づく。 (真宗聖典 七祖編p712 往生礼讚 後述) わが名を称える者よ、汝よ、流転したくても流…

わが名を称えよ

わが名を称えるばかりで、必ず汝をわが国に生まれさせる。 どうかわが誓願を信じてくれよ、やるせない大悲が声になり、 念佛往生を告げ知らせるのが、南無阿弥陀佛。 わが名を称えるばかりで助ける。ほかに何もいらない。 わが心、わが身に微塵の用事なし。 …

専修念佛

自分がどう思うとか、どういただけるようになったとか。 そんなものに用事はない。なぜなら、思えるときもあれば、 思えないときもある。そんなふらふらしたものに何の用事があるのだ。 ただ念佛往生の大悲、わが名を称えるばかりで必ずたすける、 ほかに何…

本当の救い

たとえ誰か一人でも泣いて、苦しんで、生死に 埋もれる者がいるのであれば、自分は決して浄土にとどまらない。 すべてのいきとしいける者とともにしか自分の成仏は成立しない。 これが本当の救いである。 南無阿弥陀佛

信心を批判するはたらき

落ち着こうとか、安住したいのに、全然そうさせてくれない先生がいる。 厄介だなぁと思いながら、大事にしなければならない、ご縁だと思っている。 本当に安寧に止まりたい。わかった、というところに留まりたい。 でも、それが助かったといえるのか?個人的…

弥陀の直説法

聴聞だけが聞くことではない。 むしろ講師の説法には、その人の思いが混ざることが多々ある。 受け取る方も、そのまま聞くことが難しい。ほぼできない。 念佛は弥陀の直説法である。松並松五郎さんは仰った。 生粋の直説法。なんまんだぶなんまんだぶと称え…

いよいよ助からないことに覚める

聞けば聞くほど、わけがわからない。 どこまでも自分を憑みにする心から離れられない。 助からない。 助からない者よ、わが名を称えよ、必ずわが国に往生させる、という 如来の本願が敢えてかたちをとって今、この口より出でたまうのが 南無阿弥陀佛。 十方…

ぼんのうさま

ぼんのうさま ありがとう あなたがたがいなければ 決して仏法を聞くことはなかっただろう ぼんのうさま ごめんなさい ぼんのうのすがたをとってまで 聞かせてくださったのですね おかげで 佛の御名を称える身にまで仕上げられました 煩悩即菩提 生死即涅槃 …

信心のすがた

むなしくない、という題名でブログを初めて、 二年が経ちました。 二年も経ったのか、という思いと、二年しか経ってないのか、という思いが しますが、今自分が頂いている信心の相を記します。 当初、諸佛という言葉がなかなか頂けませんでした。ピンと来な…

そのままじゃぞよ

念佛は真の形。 形が即こころを顕す。心即ち大悲なり。 されば形は即ち大悲なり。 大悲の御声を聞くことは即ち念佛を申すなり。 その聞こえる念佛を、必ず助けると聞くばかり。 心が何を思うとも。この身が何をしようとも。 我が願力に障碍なし。そのまま貫…

追悼の意を込めて

ご縁のある方がお亡くなりになった。 それをご縁に思い浮かぶことを残しておきたい。 弔事に際して、ことばを捜したが、最中も、そして今も、結局ことばが 見つからなくて、ただ、ありがとうございました、と、それだけしか浮かばない。 そして、不思議と、…

流れるままに

固定化したら腐る。 留まると腐る。 念佛は湧き出るまま、流れるままに、専ら聞く。 専修念佛とは、専ら念佛を聞く、この一行をたもつ。 この念佛のいわれを聞く。 法蔵比丘の血と汗と涙と不退の覚悟を込めた言葉、 そして、衆生の、わたしの志願を見抜いて…

法蔵の願心

縁起の法とは、因縁が和合して、結果となる、と聞いている。 退転退屈、無常敗壊とは、因縁がほどけることだと味わう。 一切は因縁の和合に依って成立しているため、それが 保たれている間は、確かにある、存在する。 しかし、それがほどけると、姿形が変わ…

かけがえのない存在

人が死ぬ、ということはどういうことだろうと考えた。 存在が空白になってしまう。 その空白は、決して他の誰かや何かでは埋まらない。 その存在しか埋められない。 しかし、その存在がいなくなってしまう。 そして、それは逃れ難い。悲しみ、苦しむ。 そう…

無碍光如来は躍動している

ずいぶん聞き違いをしていたと思う。 こちらが、努力、あるいは前進し如来へ至る、あるいは、 心身を研ぎ澄ませねばならない。 これは聖道門である。竪の思考方式である。 浄土門は、横超他力。すなわち如来の方から、どうしても如来に至れない 者、すなわち…

助けるの仰せ

南無阿弥陀佛とは助けるの仰せ。 わが名を称えよ、必ず助ける。 たった十声なりとも念佛申すものが わが浄土に往生しないならば私は佛にならない。 形を通して大悲を頂く。 真面目になれず、煩悩丸出しのままじゃぞよ。 如来の御声がこの一声だとは知らなん…