むなしさとともに

悲しみが尽き果てるまで共に在る twitter https://twitter.com/oujouwogosuru?s=09 

2016-01-01から1ヶ月間の記事一覧

先達を想う

このブログを見て下さっている多くの方は、全休様のブログから 来て下さっています。 リンクの貼り方がわからないので、 こちらでご紹介させて頂きます。 http://ictv.easymyweb.jp/member/zenkyu/default.asp 全休様は、きっと沢山の仏教書をお持ちで、 本…

止まない涙の果てに

今宵の雨の音。 しとしと。 ウォークマンの音を普段の半分以下にしても、届く音。 日常の音は耳障りだ。聞きたくない言葉ばかり聞こえる。 いや、自分もそういう言葉しかはいていないし、はくことができない。 なんまんだぶは優しい声だ。 渇いた地面にじん…

居た事実を消す

先日、お亡くなりになった方の備品を整理した。 お目にかかったことは、2.3度程度。 こんにちわ。お疲れ様です。 会話はその程度。 その方がおいていかれた、諸々の品物を整理し、捨てる。 写真。ペン。メモ。 それらを捨てる。 その品物を通して、歴史を思…

聞かねばならないこと

私は大きな思い違いをしていました。 わたしは、このようなものだ。 わたしは、どうしようもないものだ。 わたしは、わたしは。わたしは・・・・・ 聞法する上で、どうしても聞かねばならないことは、 わたしのことではない、と思うのです。 それは、如来は…

無常を勝縁に

それ人間の浮生なる相をつらつら観ずるに、おおよそはかなきことは、 この世の始中終、まぼろしのごとくなる一期なり(御文章 白骨の御文) 今日は、とても寒い。 手足、つまさきまで、ひんやりする。 誰もが老う。 いやでも病気にかかる。 いずれは、たった…

仏に負ければいい

煩悩を無くして、何になりたいのでしょうか。 寿命無量、光明無量とは、汝を決して逃がさぬ、ということ。 待ち続けるということ。 仏に負けて、託せばいいと思います。

清沢満之先生

我信念というご著書があります 先生のことは最近存じ上げたのですが、生は長短ではないと 思います。 もしよければ、ご覧になって下さい。 www.aozora.gr.jp/cards/001211/files/45629_23864.html 有難く存じます。 16/02/06追記 本当の満足とは、絶対に私を…

想い人

まことを伝えたいのに、伝える力がない。 自分の言葉には、重みがない。 面と面とをあわせても。傍に居ても。心に届かない。 年齢的なものなのか経験か、自分の知識や感受性が乏しいことは、 いうまでもないが、どうしても、どうしても、伝わらない。 まこと…

ひかりと闇を想う

僕は、本当に死に掛けたことがあります。 これは、身体の不調というか、心の不調、 つまり、心が死に掛けたと思っています。 厳密にいうと、自我がわたしを襲ってきた、といえるかもしれません。 自分が自分を否定する。それが繰り返され続ける。 延々と。 …

まこと、とは何だろう

自分が気になることに、顛倒がある。 顛倒とは、ひっくりかえってしまう、ということだ。 信じるものが、ひっくりかえる。 都合や立場でひっくりかえる。 自分の意思もひっくりかえる。 自分は、わが身が一番かわいい。 自分の生存が脅かされたとき、強い悪…

備忘)顛倒について

自分を含め、ひとは、ひっくりかえるものばかり求めている。 それが求まらなければ、泣き、わめき、叫び、死にたいという。 その苦しみの根本に気がつかず、目先のことばかりを求める。 どうして、こんなことになっているのか。 なぜ、こんなに愚かなのか。…

本願力に遇う

他力とは、本願力である、と教わります。 では、本願力とは、一体なんだろうか?と考える。 それは、本願をわたしいちにんの上に、必ず、絶対に成就させる、という 強い力。逃げるものを追いかけて、抱きかかえる不思議な力。 阿弥陀さんが、わたしを信じる…

16.5.10追記)聴聞

結局、自分自身の生きている意味を見つけるためには、 末とおりたる慈悲に、全託する以外に術がないように思います。 まかせる、ということは、託すことだと思います。 では全託するには、どうすればよいか。 ただ念仏して弥陀にたすけられまいらすべし、の…

朝な朝な、夕な夕な

「朝な朝な仏とともに起き、夕な夕な仏をいだきて臥す」 安心決定鈔(末)に出てくるお言葉です。最近、拝読しました。 おー、いい言葉だなと思いました。 憶念弥陀仏本願 わたしが弥陀を憶念するのではなく、弥陀がわたしを憶念してくださっている。 その心…

ただただ心をこめて

自分は、いったいいつまで生きられるのか、 自分の未来は、どのようになっているのか、さっぱりわかりません。 死んだら、どうなるかもわかりません。 考えても、何も答えがでません。ただ、阿弥陀さんに任せるばかりです。 だから、自分はただ、今、目の前…

宗教的直覚

結局は、いちにんいちにんが、 直接本願に遇うか、遇わないか、直接経験でしかないと聞かせて頂きます。 私には、他の方の心がわかりません。 でも、きっと他の方には私の心はわからないと思います。 よって、他の人が自分以外の方の信仰を批判したり、 あな…

わたしの思いは関係ない

仏法を聞かせて頂く中で、自分の心に重きを置いておりました。 こんな心があってはダメだ。浅ましい。 到底、信じられない。 阿弥陀さんは申します。 『汝の心は、一切、関係ない。何も関係ない。 どうしたらいいのか、などと気に病む必要はない。 持ち合わ…

お念仏を味わう

南無阿弥陀仏は、畢竟、最後の言葉だと思う。 なぜなら、ただ念仏申すことが、そのまま自分の一切を弥陀に託すことに なるからだ。 最後の言葉。 これは、通常、私たちが日常生活を送る中で、ただ念仏申すと思う心は 発起しない。 そこにやはり、念仏を自分…

ひかりが必要

人が、何かを待つことができるには、ひかりが必要だ。 ひかりとは希望。 将来、こうなるかもしれない。よくなるかもしれない。 夢ともいうのだろう。 おそらく、親鸞聖人の教えにおける、光明には、 阿弥陀如来の光明だけではなく、菩薩の光明も含まれている…