むなしさとともに

悲しみが尽き果てるまで共に在る twitter https://twitter.com/oujouwogosuru?s=09 

2021-04-01から1ヶ月間の記事一覧

聞名の念佛

南無阿弥陀佛とは、佛の名である。 このことを疎かにしているのでないかと思う。 念佛を申すというのは、佛の名を称えることであり、称えることは即聞くことである。 自問する。 佛の名を称えるような心が自分にあるか? 否、皆無である。 どこをどう探しても…

十方衆生ということ

唯除五逆誹謗正法とは、最底下ということ。 すなわち、自分の後ろには誰もいない、十方衆生はいないということ、これは自分自身の言葉。 先生から頂いた言葉があり、時折思い出す。 尽十方無碍光如来の尽とは必ず最後の一人まで助け遂げるということだ、と。…

歎異抄聴記③欲生

しかるに、真実信楽が法爾の道理によって内に欲生を開き、外に開くのではなく、内に開く。内に開くのを等流という。(中略)他力信であるかという自覚自証の原理は願にあり、欲生にある。(中略)真宗学の問題は欲生の問題である(歎異抄聴記p41) 願成就の信であ…

歎異抄聴記②機の深信

機の深信は法の深信が根源で、法から機を開くについて、二種深信ができる。ゆえに、二種深信としては、機の深信が主なるものである(p32-33) 今生では信が発起したとしても、佛になることはない。これは、ある意味の断絶を表す。つまり、この身で助かることは…

心、言、行

4月にはいり、新しい期か始まりました。 12月末から1月を迎える新年よりも、 3月末から4月に入る時のほうが、季節が春に なることと相まって、新しい年という感じが します。 最近思いますことは、準備が大事なのだなということです。 余裕をもって、事前に…