むなしさとともに

悲しみが尽き果てるまで共に在る twitter https://twitter.com/oujouwogosuru?s=09 

2017-11-01から1ヶ月間の記事一覧

孤独

人間は決定的に孤独である。 しかし、孤独を抱える者は決してひとりではない。 分かり合えねど、孤独を共に背負うものを友という。凡夫という。 おそらく今日を最後に、二度と会わぬ者に言えぬ言葉をつづる。 さようなら。 南無阿弥陀佛 心は必ず相をとる。…

本願海

海には波がある。 海はとどまらない。流れ続ける。 苦しみは絶えない。自分の浅ましさも止まない。 しかし、本願は大悲の海であり、智慧が満ちている。 智慧の波によって、わが身と煩悩を遠くにさらっていく。 みえなくなる。すぐに忘れる。執着しない。どう…

佛智疑惑

どうしても如来のことを、如来の教法を信じることができない。 いくら聞いても、いくら善行を行っても、何にも変わらない。 どうしても煩悩が雑ざる。そもそも善行かどうかを決める主体は自分であり、 善行である根拠がない。何も分からないではないか。 世…

唯信佛語決定依行

愚禿鈔のお言葉である。 ただ佛語を信じ、決定して行に依る(註釈版真宗聖典P522) 自分の場合、最後にとどめをさされたのは、佛説であるということだった。 凡夫の言葉ではなくて、佛のお言葉である。 そのお言葉が「無量寿佛の御名をたもて」ということで…

キェルケゴールの日記

根本的なことは、私にとって真理であるような真理を発見し、 私がそれのために生き、 かつ死ぬことができるような理念を発見することである。 いわゆる客観的な真理などを発見したところで、 それが私にとって何の役に立つというのだろうか。 (哲学の歩き方…

往生礼讚

もし衆生ありて阿弥陀仏を称念すること、 もしは七日および一日、下十声乃至一声、一念等に至るまで、 かならず往生を得。この事を証誠したまふが故に護念経と名づく。 (真宗聖典 七祖編p712 往生礼讚 後述) わが名を称える者よ、汝よ、流転したくても流…

わが名を称えよ

わが名を称えるばかりで、必ず汝をわが国に生まれさせる。 どうかわが誓願を信じてくれよ、やるせない大悲が声になり、 念佛往生を告げ知らせるのが、南無阿弥陀佛。 わが名を称えるばかりで助ける。ほかに何もいらない。 わが心、わが身に微塵の用事なし。 …

専修念佛

自分がどう思うとか、どういただけるようになったとか。 そんなものに用事はない。なぜなら、思えるときもあれば、 思えないときもある。そんなふらふらしたものに何の用事があるのだ。 ただ念佛往生の大悲、わが名を称えるばかりで必ずたすける、 ほかに何…

本当の救い

たとえ誰か一人でも泣いて、苦しんで、生死に 埋もれる者がいるのであれば、自分は決して浄土にとどまらない。 すべてのいきとしいける者とともにしか自分の成仏は成立しない。 これが本当の救いである。 南無阿弥陀佛

信心を批判するはたらき

落ち着こうとか、安住したいのに、全然そうさせてくれない先生がいる。 厄介だなぁと思いながら、大事にしなければならない、ご縁だと思っている。 本当に安寧に止まりたい。わかった、というところに留まりたい。 でも、それが助かったといえるのか?個人的…

弥陀の直説法

聴聞だけが聞くことではない。 むしろ講師の説法には、その人の思いが混ざることが多々ある。 受け取る方も、そのまま聞くことが難しい。ほぼできない。 念佛は弥陀の直説法である。松並松五郎さんは仰った。 生粋の直説法。なんまんだぶなんまんだぶと称え…

いよいよ助からないことに覚める

聞けば聞くほど、わけがわからない。 どこまでも自分を憑みにする心から離れられない。 助からない。 助からない者よ、わが名を称えよ、必ずわが国に往生させる、という 如来の本願が敢えてかたちをとって今、この口より出でたまうのが 南無阿弥陀佛。 十方…

ぼんのうさま

ぼんのうさま ありがとう あなたがたがいなければ 決して仏法を聞くことはなかっただろう ぼんのうさま ごめんなさい ぼんのうのすがたをとってまで 聞かせてくださったのですね おかげで 佛の御名を称える身にまで仕上げられました 煩悩即菩提 生死即涅槃 …

信心のすがた

むなしくない、という題名でブログを初めて、 二年が経ちました。 二年も経ったのか、という思いと、二年しか経ってないのか、という思いが しますが、今自分が頂いている信心の相を記します。 当初、諸佛という言葉がなかなか頂けませんでした。ピンと来な…