むなしさとともに

一切の悲しみが尽き果てるまで、共に歩む twitter https://twitter.com/oujouwogosuru?s=09 

この世界に所属するということ

最近はTwitterも頻度が減ってきました。 なぜかなと思うと、ご利益によるのだと思うのです。批評家に陥りたくはない。言葉だけでなく、言葉と行を以て現実に向き合う時、問題は他者ではなくて、自身だと思うのです。 他者のことを批判できる者なのか、と。 …

歎異抄聴記⑥信心の徹照

なぜ信心をもって肝要とすというかとならば、罪悪深重である。ただ信心だけはいっさいの自力の機のはからいをすてて、自力無効としてもっぱら深く如来をたのむ信心、それに対して罪悪深重という。本願を深く信ずる人はやはり深く自分の罪悪を信ずる。罪悪の…

思うところ

法座に身を置くと、時に、頭がこんがらがるというか、部屋の中がとっ散らかるような、そういうことがあります。 今日が当にそれでした。オンラインでもこういうことが起こるのですね。 はからいが間に合わないのですね。多分。 わかっていたつもりが、全くわ…

無信の自身

最近はまとまった時間を取りにくいため、ツイッターを使うことが多く、 ブログの更新が滞りがちです。まぁ、やることが多くて、昨日はほぼ一日寝ていた感じです。身が疲れているのでしょうね。 歎異抄聴記は非常に難しく、遅々として素読が進みません。 なの…

歎異抄聴記⑤所行能信

われわれのとなえる念仏もまた、所行におさまり、われわれがとなえたからからといって、やはり能行ではなく、たとえ、信以後にとなえたからといって、やはり所行である。能行というわけにはいかないのである。これは真宗学としては、もっとも古い真宗学であ…

雑記

忍耐が試される場面が続いている。 正直、かなり理不尽な事象であるし、腹が立つし、イライラする。 ただ、ふと考える。 この事象は何なのだろうか?と。 立ち止まると考えざるを得ない。 立ち止まると、掘り下げる。 掘り下げるとは、思考やふりかえり、或…

歎異抄聴記④所行能信

※歎異抄聴記は非常に難解なので、いったん十を目安にやってみようと思います。 行は背景である。歴史的背景である。行は歴史的現実である。歴史的現行であると了解すべきである。されば、信なるものは、行を信ずるのではない。すなわち、行のそとにあって行…

聞名の念佛

南無阿弥陀佛とは、佛の名である。 このことを疎かにしているのでないかと思う。 念佛を申すというのは、佛の名を称えることであり、称えることは即聞くことである。 自問する。 佛の名を称えるような心が自分にあるか? 否、皆無である。 どこをどう探しても…

十方衆生ということ

唯除五逆誹謗正法とは、最底下ということ。 すなわち、自分の後ろには誰もいない、十方衆生はいないということ、これは自分自身の言葉。 先生から頂いた言葉があり、時折思い出す。 尽十方無碍光如来の尽とは必ず最後の一人まで助け遂げるということだ、と。…

歎異抄聴記③欲生

しかるに、真実信楽が法爾の道理によって内に欲生を開き、外に開くのではなく、内に開く。内に開くのを等流という。(中略)他力信であるかという自覚自証の原理は願にあり、欲生にある。(中略)真宗学の問題は欲生の問題である(歎異抄聴記p41) 願成就の信であ…

歎異抄聴記②機の深信

機の深信は法の深信が根源で、法から機を開くについて、二種深信ができる。ゆえに、二種深信としては、機の深信が主なるものである(p32-33) 今生では信が発起したとしても、佛になることはない。これは、ある意味の断絶を表す。つまり、この身で助かることは…

心、言、行

4月にはいり、新しい期か始まりました。 12月末から1月を迎える新年よりも、 3月末から4月に入る時のほうが、季節が春に なることと相まって、新しい年という感じが します。 最近思いますことは、準備が大事なのだなということです。 余裕をもって、事前に…

歎異抄聴記①現生不退

p16-17 現生不退とはなんぞやというと(略)、現生不退とは自覚自証である。(略)「歎異抄」はおそらく現生不退の内容をもっとも明瞭に示されてある。これ「歎異抄」のすぐれたる特長である。 正定聚不退の位。 真宗において明らかにしなければならないことだと…

歎異抄聴記にたずねたいと思います

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少しずつ再開していきます

春の嵐というのでしょうか。 なかなか雨風が強く、外出にも一苦労でした。 一区切りがついたので、ぼつぼつブログを再開しようと思います。 この2ヶ月で、体調を崩したり、ほぼ聞法には行かずに過ごしていました。まぁTwitterは結構やってしまっていました…

云いたいこと

自分には信心がないと知らされることが肝要だとつくづく思っています。 南無阿弥陀佛

2月

ご無沙汰しております。 11月の聞法会を皮切りに忙しく、 どうやら疲れが溜まり、少し体調を 崩しました。齢38にもなると無理が利かなくなるなぁと思います。 ひどいものではなかったのですが、PCR検査をうけ、幸い陰性だった、というもので、 僕自身は感染…

追記あり:暫く間があくと思います

ここのところ、ブログのようにまとめて書くというよりは、その時々に、例えば、出勤、帰宅中のようなタイミングで使えるツイッターが主になっています。 また、聴聞それ自体も、コロナ禍では慎重にならざるを得ず、休日は家で過ごす有様です。 仕事も恐らく…

お念佛に親しむ

親鸞聖人の教えを聞く人であれば、やはり、お念佛を申すということに親しむことが肝要であろうと思う。 親鸞聖人は諸善を勧めておられず、極重悪人唯称佛とお念佛を申しなさいと仰っておられる。 また特定の人から聞かねば信心決定しないなどということは微…

弥陀の本願信ずべし

弥陀の本願信ずべし 本願信ずるひとはみな 摂取不捨の利益にて 無上覚をばさとるなり (親鸞聖人 夢告和讃) 更新あまりできず、すみません。 ツイッターだとすっと打てるので良いのですが、ブログはちょっと気合いれんと、よぅ書かんです。 あー、僕は田舎…

念佛往生とは何を指すのか?

大無量寿経に説かれる阿弥陀佛の本願のうち、第十八番目の本願について、法然聖人は王本願である、とされ、念佛往生の願であると仰せられた。 親鸞聖人は、更にこの本願は、信心まで回向して下さる本願であると顕らかにするために、更に、至心信楽の願と仰せ…

仏かねてしろしめして

よくよく案じみれば天におどり地におどるほどによろこぶべきことを、よろこばぬにて、いよいよ往生は一定とおもいたまうべきなり。 よろこぶべきこころをおさえてよろこばせざるは煩悩の所為なり。しかるに仏かねてしろしめして煩悩具足の凡夫とおおせられた…

年末を迎えて

昨日が仕事納めでした。無事終わったので、ビールを久々に頂きました。キリン一番搾り(笑) 今日は家の掃除をしました。やはり、まとまった時間がなければ手をつけられぬ箇所があり、そこもふけたし、洗えたのでよかったです。 さて、一年を振り返ると、や…

特に意味はないし、なくていい

メダカが3匹居る。 彼らに朝食を注ぐところから一日が始まる。 ここであるひとがいうとする。 そのメダカらは汝に何の意味をもたらすか? 自ら答えて曰く。 このメダカらには特に意味はないし、自分にはわからない。パパとチビと呼ぶ。小さなもの2匹に区別…

徒然なるままに

徒然なるままにひぐらし、硯に向かいて、でしたよね。徒然草って。 小学生の時、徒然なるままに、という言葉を聞いて以来、何となく、この言葉の響きが好きです。無理がない感じ、自然に流れる感じがするのです。 念佛往生の願というのは、仏さまのおはたら…

残酷な世界

世界は残酷だ。 進撃の巨人ではないが、やっぱりそう思う。 ここは平等な世界ではなくて、あまたの差異があり、不均一である。 自分の居場所はどこにもなく。 それぞれは居場所と思しき場所を懸命に守っている。 居場所と思しき場所は、有限であり、それを保…

宗祖親鸞聖人より③本願に帰す

親鸞におきては、ただ念佛して弥陀にたすけられまいらすべしとよきひとの仰せをかぶりて信ずるほかに別の子細なきなり (歎異抄第二条) この言葉は道を定めて下さるお言葉である。 よきひとの仰せをそのまま頂き、念佛するよりほかに道あることなし。 この…

大悲の願船

しかれば、大悲の願船に乗じて光明の広海に浮かびぬれば、至徳の風静かに衆禍の波転ず(東聖典p192顕浄土真実教行証文類行巻) 南無阿弥陀佛とは、大悲の願船である、と親鸞聖人は仰られている。 船とは岸から岸へ渡してくれるものである。 海を渡るのは船の…

そくばくの業をもちける身にてありけるを

歎異抄にある。 そくばくの業をもちける身にてありけるをたすけんとおぼしめしたちける本願のかたじけなさよ。 夜、目が覚めて暫く眠れなかった。 色々なことが去来した。 それを通底して流れているものが、自分がいろいろな事にがんじがらめである、という…

宗祖親鸞聖人より②発心

仏法を行ずる人よ、よくよく知らねばならぬ。仏法を知識として学ぼうとするなら、凡夫から聖者にいたり、さらにそのうえ仏果にいたるまでも、みなさわりなく学ぶことができる。しかし、仏法をわが身に行じようとするなら、必ず自分にゆかりのある教えにたよ…