帰命無量寿如来(無量寿如来に帰命し) 正信念佛偈の冒頭に記されている言葉です。 僕は随分この言葉がよく分からなかったのですが、この頃は少し感じるものがあり、このところを考えてみたいと思います。 物心ついたのは、四歳の頃ですが、生まれるというこ…
この頃、長文を書くのが億劫になってしまい、まともにブログの更新ができておりませんが、おかげさまで元気にやっております。 基本的にX(旧twitter)でその時におもったことをポストしています。 少し毛色が変わったものとして、スペースを何度かやってい…
12月の記事を書かないままに年が明けてしまいました。 本年も宜しくお願いいたします。 自分は平日の大半を仕事に従事しているのでそこで思ったことが(刹那)ということです。 年末で退職した人が居ました。 また去年は20年以上勤めておられた方も複数…
今日は立冬とのこと、月日は百代の過客とは本当ですね。 でも、今年はとても忙しいので一年が長く感じます。 今回はタイトルについて、考えを述べます。 自分が勤める会社の敷地には一本の木があり、多くの枝葉があります。 枝には紅葉しつつある葉がついて…
時間が経つのは早いですね。今月はこの記事の投稿だけになりそうです。 今回は、所在について考察します。 まず結論を。 (ここは娑婆なので、何処にも居場所はない。あえて自らの座標があるとすれば互いの自身のみである)と考えます。 むなしさを(所在)…
何となく長文を書く気分になれず、 このところ、一ヶ月に一度の投稿がやっとですが、引き続きお付き合い頂ければ幸いです。 むなしい、ということの本質は何かということを考えると、次のように感じます。 (存在)人生における手応えのなさ、自分が存在する…
救いは常に現前の救いでなくてはいけない。救いの予約が救いではない。 救いというのは「今、ここに」、という現前の救いでなくてはいけない。 救われようのないような現実を、そこに自分の唯一の生きる道があるんだ、と言っていうならば現実をうばい返すん…
人間は死ぬまでなににぶつかるかわからんのです。しかし、なにが来ても、それを転じていく。そういう生活態度が願心といわれるものでしょう。 中略 病気をしたとか、火事にあったときとかの準備を、今からしておくのではない。 いつでも裸でぶつかっていける…
考え続けるのは流転だ。 考えをやめるのは流転を一服したことです。だから、煩悩だろうが悪業だろうが、全て世間というものを倫理的に反省して、つまらんとかなんとかいって、腹を立てたり自己嫌悪したり神経質にならずに、よく見なさいと。 よく見れば、す…
思い通りに生きていたら、どこまで人間は転落していくかわからんのです。 そこに、壁にぶつかるということが、一つの転換になる。 悲劇ということは危機である。しかし、それは結論ではない。 悲観してしまったら結論になってしまうのです。悲観するのは煩悩…
個人的な話になりますが、火事にあいまして、もう一ヶ月ほどたちましたが、それまで考えていたこともあったわけですが、火事にまぎれて感想がどこかへ飛んでいっちゃって、今さら思い出そうとしても、出てこんのですがね。しかし、火事ということについて感…
この文章の前に、作りかけていたものがありましたが、投稿するのはやめました。 何か繕っているような、格好つけてるような感じがしたから、です。 新年度に入り、自分の役割が変わるので、緊張しないわけでもないし、重たいことだとも思っています。 ただ、…
人間は迷いの存在である。 よって、限定的な存在である。 限定的とは、有限であることを指す。 有限であるということは、思い通りにはならないこと。 思い通りにならないことを(苦)という。 サンスクリット語でdukkhaという。 僕らは思い通りに進んでいくこ…
更新の頻度が遅くなってきており、見に来て下さる方には申し訳なく思っております。 遅くなっている理由は、とても忙しい。これだけです。 ツイッターは短文なので、その時に思うこと、感じたことを投稿しやすいのですが、ブログのようにある程度考えながら…
気がつけば2月に入り、少しずつ日が長くなってきました。 12月に開催した研修会から一月半が経ってしまったので、端的なことにとどまりますが、この1記事だけ感想を書きたいと思います。 ①無事に終わってよかった。 ②ふとお話された一言の言葉がただならぬ…
現にあることは、無でなく、非存在でなく、不在でないことです。現に実際にあることは、無ないし非存在からかぎられています。 無や非存在となることが可能でありながら、まだ、無や非存在となっていない状態のことです。 してみますと、ある、現にあるは、…
歎異抄 第四条 慈悲に聖道·浄土のかわりめあり。 聖道の慈悲というは、ものをあわれみ、かなしみ、はぐくむなり。しかれども、おもうがごとくたすけとくぐること、きわめてありがたし。 浄土の慈悲というは、念仏して、いそぎ仏になりて、大慈大悲をもって、…
《揺るぎなき共通項》という言葉を手掛かりに考えます。 年始に引っかかった言葉は《対話》でした。 この言葉はあるテレビ番組を見ていて、有識者が(冷戦)の話をしていた時、こういうニュアンスのことを仰っていました。 どんなに相手に否があると考えられ…
この7年余り、先生方から教わってきたことを自分なりにまとめますと、 《われら》に尽きる、と考えます。 《われら》は(かれら)に対する言葉ではありません。《われら》は汝であり、《われら》の一人として《われ》が成り立ちます。 《われら》とは如来に見…
研修会が終わり、ほぼ一週間が過ぎました。 いやぁ、あっと言う間ですね。 まず、研修会を終えた気持ちを整理しておきたいと思います。 無事終わって良かった。これに尽きます。 何事もなく最後まで終わったことが大切で、幼い頃〈開会式〉がある意味が分か…
日常が慌ただしく、深く思考したいことは特にない状態です。 現在の課題は、現実とどう対峙するかに尽きるので、ここに解釈や意味が介在する余地はありません。 正直、毎日、体当りし、行、即ち、自分にできることを重ねているだけなのです。 但し、行と大行…
今回で六回目を迎える研修会の案内をさせて頂きます。 テーマは(当事して聞く)とさせて頂きました。 恐らく(当事する)という言葉は、ほとんど用いず、聞かない言葉だと思います。 しかし、僕自身は、このことは、非常に大切なことであると考えています。 問…
僕が(むなしくない)というタイトルで、このブログを始めたのが2015年11月1日でした。 そこから、はや7年ですか。。 続けてこれてよかったなと思い、筆をとっています。 実は、転職して一ヶ月からブログを始めたので、今の職場に務めてからとほぼ同じ…
10月に入り、仕事そのものは少しずつコントロールできるようになりつつあります。 ただ、ブログをアップできるほど、考えがまとまらず、雑多な感じなのですが、少し書いてみようと思います。 右は左で、左は右なのだ。 ふと昨日電車の中で思いました。 降り…
自分の生業は、経理です。 5月末が確定申告になるため、4月5月が繁忙期になります。 9月は繁忙期並に忙しかったので、さすがに疲れましたが、何とか無事終わりました。 そのことを書き残したいと思います。 ①引き継ぎ ②企画、予算の確保、他部署とのやり…
この頃はあまり心境に興味がありません。 自分の周りの現実に対して、どう向き合うかが大事であって、現実を外側から批評しても意味がないと思うのです。 確かに理不尽で、歪なことは山のようにあります。 批判したり、不満をもらすことは簡単なのです。口を…
仕事が更に忙しくなってまして、かつ、諸事情で自分のペースで進めることができません。 再来月からは恐らく落ち着くと見込んでいます。 このブログのタイトルにあるように、僕の人生における課題は、 胸に去来するむなしさからどうすれば脱却できるか、 言…
僕の人生における最初の問題は(むなしい)ということでした。 この(むなしい)ということを改めて考えると(むなしさに気づいてしまった)といえるかもしれません。 他者から見ると、別に不自由なく、いわゆる大切に育てられたのかもしれません。実際、そ…
更新頻度が落ちておりますが、何とかやっております。 Twitterは思いついたことを即座に文字化できるので、ブログを書くための時間が取りにくい昨今、Twitter中心です。 さて、最近考えていることを。 一所懸命行ずるしかない、ということ。 結局は孤独であ…
暑うなってきましたね。夜中も冷房入れてないと眠れない日々です。熱中症、コロナ、くれぐれもご自愛下さい。 当方が職場で(普段)気をつけていることは次の通りです。 高性能マスクの着用(KF94)、 石けんによる丁寧な手洗い(爪、手首、表裏)、 ドアノ…