この頃思いますのは、感情が自分ではないということです。 感情を感じ、観る者が自分であるように思います。 ここでいう感情は好き嫌い、相性、価値観の相違などを含んだ分別も含んでいます。 感情は湧いてくるものであり、沸いてくるものであります。 おそ…
ひどい更新頻度ですね。日々忙しくやっております。 日常に埋没しておりますが、ある意味安心して埋没しています。世間と真宗の間に水際はありません、シームレスです。 さて、結論を。 端的には、原点に帰る、原点に学ぶということです。 7月は月の約3分…
少し文字起こししたくなったので、書いておきます。 今まで作為的というか、意図を持ってというか、何らかの方向性のもとに手段を講ずるような形で生きてきたのですが、もはや、そんなことをする必要もないのではないかと思ってきました。 野放図という訳で…
今日は3月末、期末にあたります。 仕事柄、ここから二ヶ月間はタイトな状況に入っていくので体調に気をつけながら丁寧にやっていきます。 今期は、今まで準備してきたことがある程度結実した感がありました。 数年余り、そうなるかもしれないと想定し進めて…
一ヶ月に一記事程度の頻度になってますが、長文を書くのは勢いが要るなぁって思います。 停滞したブログですが、時々見て下さる方がおられるようなので、有り難いことです。 さて、この頃思うことは、真宗で教わったことをどう現実に落とし込むか、というこ…
長い休みだと思っていたら、あっという間に明日は仕事始めとなりました。 このブログも不定期の更新で、ほぼ止まっているような感がありますが、マイペースに続けていければいいなと思っています。 先ず、結論を。 いのちをいのちたらしめているはたらきは、…
一隅を照らす。 この言葉は天台宗の言葉と聞いておりますが、僕自身は、第一の師と言える、鍵山秀三郎先生の著書から教わりました。 要は、持ち場を守るということだと理解しています。 自分は、数字にまつわる仕事をしていますが、半世紀以上続いている会社…
ブログを始めたのが、2015年11月8日のようなので、まもなく11年目に入ります。 何故覚えているかというと、2015年は転機の年だったからです。 2015年は、今の会社に入ったのが10月、で、11月からこのブログを始めました。 きっかけは、お会いしたことはない…
信心と念佛は一体であり、不可分です。 即ち、南無阿弥陀佛という本願の名号であります。 しかし、現実には(お念佛を申す)ということから個々人の聞法が始まると思うのです。 言い換えるならば、お念佛を通して、無根の信が回向されてくるということです。…
はや10月、少し涼しくなってきましたね。 少しだけ最近のことを、と思い文字起こししています。 数ヶ月前に撒いた種が育ち、きれいな花が咲いてきました。 これは去年採種したものであり、二年越しの花ともいえます。 赤の花、紫の花が咲いているのですが、…
十地経における(不動地)という段階が自分のテーマであり、これを繰り返し考えてきました。この点は、このブログの特徴かもしれません。もしよければ、八地、又は、不動地という言葉をこのブログ内で検索してみて下さい。 無功用に入るという転換。これが不…
色々なことを思わない訳では無いし、 何も気づかない訳でもない。 悲喜こもごも、色々な人が居て、関わり合いながら日々が過ぎる。 再び聴聞が始まって十年が過ぎた。 今思うのは、自分はどうやっても煩悩を離れられないただの弱い凡夫に過ぎないということ…
先週末にやっと大きな仕事が終わりました。 毎年のことでありますが、3月半ばくらいから5月末までは気が抜けない期間であり、少し余力を残しつつ、完走することができました。 今回のテーマは(冷静さを保ちつつ、最後までやり切る)ということでした。 感…
自分はサラリーマンですが、複数の仕事を兼務しており、その中で庶務があります。 いわゆる些末なことを粛々と行うものであり、その中に庭の管理があります。 以前からツツジが枯れつつあったので、去年株を処分し、空いたスペースを使って花を植え、育てて…
気づけば3月ですか。 2月は特に早かった気がします。 久しぶりに思いますことを書いておこうと思います。 不惑を過ぎ、今思うことは、自分は誰にでも優しくできる存在ではない、限られたものを何に注ぐかは自分で決めてよい、ということです。 平等、公平…
年末ですね。 今年は長かった気がしますが、とはいえ、あっという間に終わったような気もします。 人間は本当に有限な存在なのだなと知らしめられる日々です。 思考的にも能力的にも散々たる有様です。 思考的とは、自分を起点にしてしか、モノを考えること…
一ヶ月に一記事も更新できない有り様ですが、この頃のことを書いてみます。 先ず結論を。 自分にとって、労働は尊いものであり社会との接点である。故に自分は労働を大切なものと認識し、より質の高い労働を模索し続けていく。 仕事は割と忙しいのですが、地…
住居は少しずつ落ち着いてきたのですが、もう少し時がかかる見通しです。まだカーテンが買えていません。 さて、この頃考えていることをつらつらと書いてみます。 真宗大谷派に和田稠先生(わだしげし)という方がおられました。 自分は直接お会いしたことは…
約二ヶ月ブログが書けなかったのですが、 引越で忙しかったのが主な理由です。 以前から引越ししたかったのですが、 予算、間取り、立地などを考慮した時、 なかなか希望に合致せず、一年あまりが 過ぎたのが、7月末でした。 良い物件がネットに出ていて、…
土日に法座があり、ZOOMで参加させて頂きました。 まだ頭の中が整理できていないので、今自分が感じていることをまとめておこうと思います(先生のお言葉も含め) 我執を破ろうとする我執は最も深い我執である。 我執と考えた時は常に対象化せざる負えないた…
分別を使うということは、自分も分別をもって見られるということであり、これは諸刃の剣であり、非常に悲しく、また厳しいことと思います。しかし、自分には分別智しかないのであり、無分別智は無いのであります。 良し悪しは空虚であり、中身がありません。…
何か事象や現象を見るとします。 それ自体は特に何も変わらない、いつも同じように見えます。 しかし、視え方が変わるとその事象現象の意味合いや彩りが変わることがあると思うのです。 少し前からこういうことを感じることが増えてきたので、幾つか例えを書…
先日、オッペンハイマーという映画を観たのですが、その中で心に残った言葉です。 劇中の意味では、ある事象が起こる可能性がほぼゼロであるという意味なのですが、ポイントは(ほぼゼロである)ということです。 これ、ゼロではないのですね。ゼロだと言い…
帰命無量寿如来(無量寿如来に帰命し) 正信念佛偈の冒頭に記されている言葉です。 僕は随分この言葉がよく分からなかったのですが、この頃は少し感じるものがあり、このところを考えてみたいと思います。 物心ついたのは、四歳の頃ですが、生まれるというこ…
この頃、長文を書くのが億劫になってしまい、まともにブログの更新ができておりませんが、おかげさまで元気にやっております。 基本的にX(旧twitter)でその時におもったことをポストしています。 少し毛色が変わったものとして、スペースを何度かやってい…
12月の記事を書かないままに年が明けてしまいました。 本年も宜しくお願いいたします。 自分は平日の大半を仕事に従事しているのでそこで思ったことが(刹那)ということです。 年末で退職した人が居ました。 また去年は20年以上勤めておられた方も複数…
今日は立冬とのこと、月日は百代の過客とは本当ですね。 でも、今年はとても忙しいので一年が長く感じます。 今回はタイトルについて、考えを述べます。 自分が勤める会社の敷地には一本の木があり、多くの枝葉があります。 枝には紅葉しつつある葉がついて…
時間が経つのは早いですね。今月はこの記事の投稿だけになりそうです。 今回は、所在について考察します。 まず結論を。 (ここは娑婆なので、何処にも居場所はない。あえて自らの座標があるとすれば互いの自身のみである)と考えます。 むなしさを(所在)…
何となく長文を書く気分になれず、 このところ、一ヶ月に一度の投稿がやっとですが、引き続きお付き合い頂ければ幸いです。 むなしい、ということの本質は何かということを考えると、次のように感じます。 (存在)人生における手応えのなさ、自分が存在する…
救いは常に現前の救いでなくてはいけない。救いの予約が救いではない。 救いというのは「今、ここに」、という現前の救いでなくてはいけない。 救われようのないような現実を、そこに自分の唯一の生きる道があるんだ、と言っていうならば現実をうばい返すん…