むなしさとともに

一切の悲しみが尽き果てるまで、僕も、共に歩む。

互いに今できることをしたい

過去は過ぎていった。

 

未来はまだ来ていない。

 

今は過去から至っていて、今から未来に

 

至る。

 

今は、自粛や規制があって。

 

実際に、感染症でいのちを失う人が

 

たくさんいて。仕事もできず、資金に

 

窮し、途方にくれている人も多いと思う。

 

自分は、感染しないことを諦めようと思う。

 

ただし、感染するタイミングをできるだけ

 

後ろにずらせるよう、手を丁寧に洗い、

 

水うがいをし、三密を避け、目の前の人に

 

できるだけ親切にしようと思う。

 

今すべきと言われることをしっかりやって

 

いこうと思う。

 

感染してしまった場合、軽症ならば

 

おとなしく家で引き籠ろうと思う。

 

優先すべきは重篤な方、あるいは、

 

感染症以外で病にかかっていて、本当に

 

医療を必要とする人に治療が施されるべき

 

であって、軽症と判断された場合、

 

指示に従い、床に臥せばいいと思う。

 

コロナウイルスに限らず、感染症とは、

 

恐らく折り合いをつけて、付き合わないと

 

いけないものになるのではと考えている。

 

過度に不安にならず、神経質にならず、

 

しっかり食事を頂き、しっかり睡眠をとり、

 

仕事があるなら仕事をやって。

 

仕事ができなくなったら、しっかり休んで。

 

重篤になったら、潔くしっかり苦しんで、

 

ここを去れればと思う。

 

良いところだと思います?ここ?

 

僕は全然思わないんです。

 

僕の存在そのものも、世界も寂しくて、

 

悲しいと思う。

 

でも、それを言い訳にして、部外者になる

 

訳にはいかない。

 

それは逃避だと思うからです。

 

批評家にはなりたくないんです。

 

 

とにかく、言いたいことは、不安になっても

 

状況は何も変わらないし、

 

他者に辛く当たったりするのは、格好悪い。

 

苛立っているのは全員で、それを堪えて

 

過ごしているだけですからね。皆不安だと

 

おもいます。

 

僅かでも、自分と関わる人の気持ちが乱れぬ

 

ように、落ち着くように、向き合うことが

 

自他ともに活かすことに、

 

なろうと思うのです。一隅灯照。

 

 

ぎおんしょうじゃのかねのこえ

しょぎょうむじょうのひびきあり

しゃらそうじゅのはなのいろ

じょうしゃひっすいのことわりをあらわす

おごれるひともひさしからず

ただはるのよのゆめのごとし

たけきものもついにはほろびぬ

ひとえにかぜのまえのちりにおなじ

 

小学三年の国語の授業でこの文章を読んだ時

 

不思議な感覚をもったのを覚えている。

 

不思議な文章だなと。

 

 

その後だったろうか。大切な鳥が蛇に

 

食べられて、激しい憎悪が沸いた。

 

これは一体何だ、と。あれから、30年。

 

今もまだ答えは出ていない。

 

 

 

 

 

 

良い天気だ

空は青く、澄んでいる。

 

桜を愛でたいが、浮かれてもいられない。

 

時節到来、収束の目処が立つまで、

 

仕事の区切りがつくまで、弛むことは

 

できない。

 

聞法会も中止。だが、念佛は人も時も場所も

 

選ばない。今、ここに不急のことだらけの

 

自分に南無阿弥陀佛と出てくださる。

 

称えるのは自分であるが、出処は十七願。

 

往生させて下さるは十八願。

 

如来の本願、まことに有り難し。

 

如来の大悲、まことに尊し。

 

如来智慧、まことに不可思議なり。

 

無碍の光明、煩悩を障りとせず、貫き至る。

 

 

 

 

南無阿弥陀

専修念佛

如来の勧め。無量寿佛の御名をたもて。

 

これを相続させて頂くより外にいずれも

 

道なし。念佛が導き、育ててくださる。

 

汝、この道を行け。我能く汝を護らん。

 

この言葉を聞き、決定してこの道を行く。

 

特別な心境はなく、ただこの大悲の一声、

 

一声を聞くばかりで、何もない。

 

念佛を聞いて思い出す、先生の念佛される

 

後ろ姿を。

 

南無阿弥陀