むなしさとともに

一切の悲しみが尽き果てるまで、僕も、共に歩む twitter(@oujouwogosuru)

薫習

迷いの種を薫習しっぱなしで悪循環している

 

ところに、悟りの種子・悟りの香りを薫習

 

していけば、アーラヤ識は変わる、変わりうる。

 

本質的に私たちの心は実体ではなくて、

 

種子の集まりとしてある。

 

だから、種子の集まりの質を次第に

 

変えてゆき、やがては根本的に変えていくと、

 

心自体が、変わる。

 

唯識のすすめp193 )

 

薫習という言葉の響きが好きです。

 

お香が知らぬ間に染みついている。

 

自分の意図ではない。香りのはたらきであります。

 

大切なことは、お香の焚かれる場所に身を

 

置く。常に香りを身に浴びておられる師から

 

直接、弥陀の本願念佛の大悲を聞かせて

 

頂く。

 

そうすと、知らぬ間に香りの方から、

 

薫習して下さる。

 

自然なる大悲のはたらきを現すのが

 

この薫習という言葉であります。

 

美しく、無理のない言葉だと感じています。

 

以前の薫習の記事は反復の意味を

 

記していますが、反復というよりは、

 

香りのはたらきは自然なるはたらき、

 

なんとわはなしに、という感じです。

 

また変わるかもしれませんが、変われば

 

いいと思います。

 

歌を覚える感覚に近いかもしれません。

 

何度も歌ううちに、歌詞や抑揚、強弱などを

 

いつの間にか覚えている。

 

繰り返すうちに。

唯識のすすめ

https://www.amazon.co.jp/dp/4140840900/ref=cm_sw_r_apa_i_LRU0EbZ4WDXPB

 

空、一如、

 

我空、法空、四智八識。

 

五位、六波羅蜜、無住処涅槃。

 

何度か読んだはずなのだけれど、

 

初めて読んだような印象を受ける。

 

 

言葉の意味ではなくて、生活に、日常に、

 

おいて聞こえること、気づくことが

 

大事であり、確かめていく中で、

 

さらに教えられること、深まって下さる

 

ものだと感じます。

 

仕事の区切りがついたので、唯識の本を

 

もう一度読んでみたいと思います。

 

 

またショーペンハウアーの本も、

 

読んでみたいと思います。

 

彼の文章には、自分の指標となる言葉が

 

散りばめられている気がしています。

わが存在の滅尽を望む

僕個人について、述べる。

 

他の方には一切関係なく、僕いちにんの

 

主観的雑記である。

 

僕は生存していることそれ自体が、

 

とても悲しく、痛い。

 

他者から奪わずにはおれない。

 

有情を食べなければ生きていけない。

 

都合の悪いひとを邪魔であり、無能なひとと

 

しか見れない。他者の苦悩、悲しみを

 

わがことのように感じれる感受性がない。

 

結局、自分が特別扱いされることに

 

喜びを感じている。

 

すなわち、全くの凡夫の心身を具足して

 

いる助からない存在であるということに

 

帰結する。

 

脆弱な存在であり、痛ましいと思う。

 

 

ただ、こうも思う。

 

過去との未来の自分の流転を背負っている

 

故に、今ここに存在する自分がここまで

 

痛ましいのかもしれない、と。

 

ファイナルファンタジー10ティーダ

 

いうキャラクターを知っているだろうか。

 

彼は夢を終わらせる夢なのである。

 

そして、彼と全く同じ意味を自分が負って

 

いると本気で思うのである。

 

 

だから、僕はこう思う。

 

自分で自分を終わらせる、と。

 

最期の自分がオレであると。

 

今往生の中にあり、その証が今ここに称え、

 

耳に聞こえて下さる南無阿弥陀佛の信心。

 

故に決して助かりようのない自分は、

 

どうあがいても、往生を遂げられてしまう。

 

 

悲しみや痛ましさやあさましさ。

 

変わらぬ惨めな現実に沈み切っているけれど

 

目は光を失わない。

 

これで最期であり、終わらせる、と。

 

 

過去と未来の自分が叫びをあげている。

 

助けてくれ。苦しくて、寂しくて、

 

痛いんだ。でも、どうしたらいいか、

 

わからないんだ、と。

 

今ここにいる僕はいう。

 

念佛せよ、と。

 

この一声を聞くばかりだ、と。

 

迷いを迷いと知ることが離れることだ、と。

 

凡夫は凡夫にあらず(金剛般若経

 

今も迷いの只中である。

 

自然に終わることが滅尽だと感じる。