むなしさとともに

悲しみが尽き果てるまで共に在る twitter https://twitter.com/oujouwogosuru?s=09 

2017-09-01から1ヶ月間の記事一覧

念佛往生の誓願

念佛申す者、すなわち、我が名を称えるものを 必ず我が浄土へ生まれさせる、間違わさん、という誓いである。 我が名を称えるばかりで、必ず助ける。 この言葉は我らの世界における、ぎりぎりの如来の表現である。 形から心を頂く。かたちなき法性が、自己を…

光明のはたらき

白を黒に、黒を白にするものが光明のはたらきではない。 白を白と、黒を黒と、そのもの自体の存在全体を照らし出だすはたらきを 光明というのだ、と体解する。 悪性を悪性と、自己中心を自己中心と、凡夫を凡夫と知らしめる。 如来のはたらき、智慧とよぶの…

外道

光は照らすものであり、そのはたらきは、照らされたものを 見せつけるものである。 知らなかった。自分が全くの外道であることを。 どんなに聞いても聞いても佛道を歩むことができない。 そもそも迷いの中を出たいという気持ちがない。皆無である。 望んでい…

右手左手

右手でめだかにえさを与える。 左手でなべに鰹節を入れて、だしをとる。 何をやっているのか。矛盾そのものが自分である。 矛盾しているぞ、と告げ知らせるはたらきを智慧という。 南無阿弥陀佛

南無阿弥陀佛

南無阿弥陀佛はまことのかたち。 かたちが心を貫く。 貫いた心はかたちをどこまでもまことに仕上げていく。 貫いた心を、如来の一心という。 あぁ尊いまことのかたち。 無量寿命、無量光明よ。はかりなきいのちとひかりのまことよ。 かたちがなければわれら…

光明とは智慧、照らすはたらきとおっしゃる。 照らすとは暗がりを浮かび上がらせるものである。 暗がりとは何か、自分の心の動き、現実の姿のありようのことを指す。 すなわち、暗がりを暗がりと指し示すものを光明という。 暗がりは暗がりである、というと…

風が吹いている

風は目に見えない。 しかし、風は吹いている。どうやって風を認識するか? 身体で感じる。木々が揺れている。その相を通じて、風を知る。 大悲本願の風が吹いている。そこに念佛の響きがあるではないか。 形には必ず心がこもっている。これが本当に大切なこ…

無限大悲

無限の大悲をもって、無限に世間を安慰す(勝鬘経義疏 一乗章) 無限の大悲に相応する。 相応とは彼の佛の御名を称え、聞くこと。 称えさせ、聞かしめて、往生させ、成仏せしめるはたらきを 如来の本願力といい、このおはたらきを他力という。 自分が凡夫で…

一寸お休みします

別に書くこともないのですが、ちょっと休みたいと思います。 何となく、ちょっと疲れたのです。だから立ち止まります。 でも、一週間も経たないうちに、また書いているかもしれませんし、 書かないかもしれませんし、それはよく分かりません。 僕は適当です…

むなしさから逃げない

むなしい、という感情は静かだが、執拗に流れてくるもので、 何の意味があるのか?ということを突きつけてくる。 そして、それに負けて中々行動、実行することができない。 それは、昔も今も同じなわけで。 たとえ如来に出遇ったとしても、それは決してなく…

智慧海のごとくならん

三帰依文を拝読すると、このご文が出てきます。 自ら法に帰依したてまつる、まさに願わくは衆生とともに、 深く経蔵に入りて、智慧海のごとくならん。 弥陀の名号称えつつ 信心まことにうる人は 憶念の心常にして 佛恩報ずるおもいあり(ご和讃) ひとりだけ…