2018-11-01から1ヶ月間の記事一覧
親鸞聖人の恩徳を偲び、各地では報恩講のお勤めがなされている。 昨日は正信念佛偈を拝読した。 不退の位に摂取される、このことが人身を受 けた所詮であると、しみじみ思う。 不退転とは、菩薩の階梯で表現されるところの四十一段目、 初歓喜地において、初…
無量寿如来に帰命し、 不可思議光に南無したてまつる(正信念佛偈) 聴聞の場に座らせて頂くと、ふと、思う。 なんで阿弥陀佛の本願を聞いているのだろうかと。 なぜ今、この場にいるのだろうと。 全く分からない。 しかし、佛法に照らされるところの自分は …
迷ったらいつでも大悲に帰ればいい。 大悲の相が南無阿弥陀佛。 念佛を申せばなむあみだぶつと聞こえる。 その言葉は如来回向の大行。すなわち、 共に居る、必ず往生させる、任せよの仰せ。 いつでもどこにいようとも、助けるの仰せは 変わらない。 念佛を申…
自力といふは、わが身をたのみ、わがこころをたのむ、 わが力をはげみ、わがさまざまの善根をたのむひとなり。( 大谷派真宗聖典 p541一念多念文意) 親鸞聖人のお言葉であります。 わが、というところに驕慢が潜んでいる。 すなわち、やればできる、という…
新しい視点を得て、改めて観察するに、 ここは娑婆世界なのだなと痛みを感じる。 あたたかいやりとりがない。 お互いに無関心であるし、自分自身も 縁のない衆生に対して関心が全くわかない。 こういう自分と世界にどう関わればよいか。 難しい問題がまた露…
十地経、第八地には非常に重要なことが含まれている。 佛法がありとあらゆるものに含まれているから、味わい尽くしなさいと、 菩薩大士は諸仏から告げられる。 起知門を授与したまう。 (大乗仏典⑧十地経 荒牧典俊訳 中央出版p248) 故に涅槃にも拠らず、生…
一念一刹那も清浄ならざることなし。 これは法蔵菩薩のすがたである。 すなわち憶念であり、その心は一心。 助からぬわれらを必ず往生させるという決意であり、大悲である。 念佛は実は最も難しい。人間の有様に合わないのだ。 難しいものを価値ありと見出し…
根拠なき自信。これは無明の一側面である。 知るべきことを知らぬ、見失っている、 忘れ果てている。 何とかなる。今までも何とかなってきた。 だから、きっと。 確かに生きていくことに関しては、必ず努力は必要である。 ここは娑婆世界であり、競争の社会…
佛法、浄土真宗には二つの利益があるとされる。 一つには、入正定聚の益、すなわち住不退転。 二つには、必至滅度の益、すなわち往生成佛。 後者は、期するところの益であり、往生には出発があり、 必ず遂げられるという性質がある。よって、 これは論ずるこ…
前回は行いに私の思い、見返りを求めることが必ず雑ざる、と述べました。 雑ざることは致命的なことである。 これは、実践実地をくぐらなければわからぬことであります。 光明のお育てにあずかるということであります。 では、如来はわれらに何と仰って下さ…
課題は課題として、しっかり考えますが、 僕自身は何者にも縛られずに、 自由に念佛の信心を確かめていきたいのであります。 流れるままに、徒然なるままに。 本当に求めていたこと、今も求めていることは、 まことの自由・まことの平等・まことの連帯。 こ…
われらは真宗、親鸞聖人の教えを尋ねるものであります。 親鸞聖人の教えを通して、釈迦如来が説いて下さった佛説を頂くのであります。 よって、まず親鸞聖人の仰せを暫く頂きたく存じます。 もし良ければ岩波文庫の親鸞和讃集(名畑應順)もお求め下さい。 …
少し腰を据えて確かめたいことが出てきました。 なぜ自力では助からないのか。 まず親鸞聖人の仰せ、その裏付けとなる本願のお心、そしてお聖教に照らし合わせ、そして、 自分が辿ってきた道のり、今も含めて確かめたいです。 だいぶ時間がかかると思います…
好い時を過ごした。 にんげんがたくさんいた。 まだ言葉にまとまらないが、終わった静けさ、余韻がある。 不思議な集まりだった。 南無阿弥陀佛 帰命無碍光如来 南無不可思議光 南無三宝
11月1日、ブログを始めてから丸三年の月日が経ちました。 こんな妙なブログを、どんな方がご覧になっているのでしょうか? 少し興味があります。もし良ければコメントで教えて下さい(笑) さて、これまでを振り返りますと、 よく一年過ごせた、生き延びれた…