むなしさとともに

悲しみが尽き果てるまで共に在る twitter https://twitter.com/oujouwogosuru?s=09 

2016-01-01から1年間の記事一覧

2016年

この一年は、不思議なご縁で沢山の方にお会いさせて頂き、 共にひとときをすごすことができました。 日々、現実と念佛から知らされることは、 いよいよ迷いは深い、全くそこがつかないということしかわからないほど、 深淵である、ということと感じる。 浅ま…

能動的信

自分には確固たる使命感もないし、特別なことも できない。 口も達者でなければ頭も良くない。 人付き合いも下手。 でも一隅を照らしたいと思う。 挨拶、掃除、仕事、人との交わり。はがきを書く。 虫、鳥、ねずみ、魚。 念佛の兄弟を傷つけいのちを奪わざる…

本願に出遇うまで⑥

6.現在 念佛を申し、生活をする。必ず隣にひとがおられる。 そのひとが自分の自性を教えてくれる。 今の自分にとって、重要なことは、今ここでお念佛を聞かせて頂く、 ということに尽きる。 色々なことを思い違いしていたが、どんなに心をさしおいても、 現…

念佛に帰る

自惚れて、念佛に帰る。 念佛に帰って、欲に帰って、また念佛に帰る。 浄土は連続無窮の相をとる。何度でも何度でも。

今思うこと

色々な先生から、大悲のお心を聞かせて頂く。 ありがたいことに、本当に沢山の先生がおられ、それぞれの身を通したお言葉で ご本願、念佛の心を教えて下さる。 その中で、自分が今思うことは、 今、ここで、お念佛を申す。これが本当に大事なことだなという…

本願に出遇うまで⑤

5.出会い 自分にとっては、あの出会いがあったから今がある、 そう云える出会いがいくつかある。本当に大切な出会い。 真宗とのご縁を頂いた出会いもその一つであった。 今あの人は何をしているか、存じ上げないが、真宗の教え、 親鸞聖人の言葉との最初の出…

本願に出遇うまで④

4.失敗 自分は主体的活発的なものではないため、 こうなりたい、という意欲や夢が一つもなかった。 流されて、あるいは火がついてからでないと腰を上げない、そういう子どもだった。 そういうことで、受験に関しても、 具体的に志をもって取り組むということ…

本願に出遇うまで③

今に至るまでを思い起こす。思えば、色々あったのかなと思う。 3.決定的な欠落(存在の意味が分からないということ) 他人の気持ち、立場になって考えることが今以上にできなかった。 想像力がない、否、他人に関心がなかったのだと思う。 同時に自分が何を…

本願に出遇うまで②

ある方のブログに、ご自分の歩みを振り返られる内容のものがあった。 示唆を受けたような気がして、少し振り返ってみようと思う。 あくまでもどこにでもいる平凡な男がくだらない過去を振り返ったものに すぎない。また自分の経験が誰かの役に立つということ…

本願に出遇うまで①

ある方のブログに、ご自分の歩みを振り返られる内容のものがあった。 示唆を受けたような気がして、少し振り返ってみようと思う。 あくまでもどこにでもいる平凡な男がくだらない過去を振り返ったものに すぎない。また自分の経験が誰かの役に立つということ…

専修念佛

聞法の場所へご縁を頂き続けると、時々頭を殴られたような 痛みを感じる。 自分はなんと大きな思い違いをしていたのだろうと。 しかし、そのたびに親鸞聖人は、有縁の先生は教えて下さる。 汝、専修念佛を行け、と。如来はすべて知り尽くしている。 汝の正体…

真宗を思う

仏教と聞くと、あるいは宗教と聞くと、どのような印象を抱くだろうか? 現世利益、加持祈祷。神様、仏様にお祈りする。無病息災を。 そんなものだと思っているとしたら、全くの見当違いである。 仏教とは、浄土真宗とは、本願によって、自らを受け止められ、…

道が始まった

今までこちらへ行き、あちらへ傾き、左に行き右に行き 模索しておったのが、『私の行く道はこれだ』と、 その道が決定した。それを「往生一定」といいます。 私の人生の生き方が根元から定まった、これに増したことはない。 そのことを「御恩」と申します。…

法の真実を説け

和田先生は仰った。 個人の心境を述べるに留まってはいけない。 一人ひとりの心境は異なるのだから。 だから先達は云った。法の真実を説け、と。 それは法に出遇った人の言葉である、と。具体的には経論である、と。 自分に教学がないため、心境を述べるに留…

どこまでも育ち盛り

思い通りにならない現実があり、 そこから逃げよう、できるだけ痛い目にあわないように、あわないように、 やっているけれど、それでもしょげることもある。苦楽の相を思う。 晴れの日があれば、雨の日もあり、曇りの日があれば、雪、嵐の日もある。 移り変…

本願海に融けていく

煩悩の雨がいくらふっても 本願海に融けていく 海は雨雪を受け止める 大地は風雪を受け止める 本願とは海であり大地である 我を育む大地である、衆生を平等に育む海である 大地と海は摂取不捨の心をあらわす 波はさらい続ける 思いをさらい続ける 大地はどこ…

煩悩は煩悩のままでよい

出よう、出よう、やめよう、やめようとしていたが、 どうやらそうではないらしい。 煩悩は煩悩のままでよい。断ぜずともよい。 要は執着しなければ、相手にしなければ問題ない。 湧くなら湧けばいい。思うなら思えばいい。 あぁ、また思っているな。なんまん…

受容

浄土真宗、本願念佛の教えとは、どういうことだろう、と 考えています。 私は、本願とは受容であると思います。 受容とは、じゅゆうと仏教では読むと聞かせて頂きます。 受容とは、受け止めることだと思います。 受け止めるとは、他者を、世界を、そして自分…

さよなら、また会う日まで

2年前、あなたはわたしに云いました。 あなたは99%もうだめだ、と。仰るとおりでした。 わたしも思いました。もうだめだと。 道がどこにも見えなかったし、 何をどうすればよいのかもわかりませんでした。 わたしはうぬぼれておりました。井の中の蛙でしか…

今遇えた慶び

人身受け難し、今すでに受く。 佛法聞き難し、今すでに聞く。(三帰依文) ここに愚禿釈の親鸞、慶ばしいかな。西蕃・月支の聖典、 東夏・日域の師釈に、遇いがたくしていま遇ふことを得たり、 聞きがたくしてすでに聞くことを得たり。 真宗の教行証を敬信し…

ありのまま

真如法性とは、決して曇りなき青天のことをいうのではないと思う。 雲があっても、雨が降っても、嵐の日でも。 青天の日も、雪の日も、春のうららかな日も。 夏の照りつける日差しも。秋の夕暮れも。 そのありのままの姿が真如法性。足すことも減らすことも…

もったいない

如来の教えが残る今、いのちを頂きもったいない。 念佛を聞かせて頂きもったいない。 食事を頂いてもったいない。歩かせて頂いてもったいない。 手を合わせしめられてもったいない。 如来の見られた太陽、親鸞聖人が見られた月を見せて頂きもったいない。 念…

我が名を称えよ

我が名を称えよと、 称えてくれよの違いはなにかわかりますか?とたずねられて、 わかりませんと言いました。 昨日、報恩講に寄せて頂き、思いました。 あぁ、我が名を称えよというのは、汝を必ず我が浄土に生まれさせると いう決定のお言葉なのだなと。 そ…

仰せに随順する

常に仰せが先行している。 ただそれに応える。そこに意味をつける必要がない。 自分が何かを思う必要もない。 事実は常に自分の思いを超えて先行している。 それに色んな思いや意味をなでつけて、こねくり回す。 事実事象に対して、自分が思いを起こす。 思…

三帰依文を確かめていく②

この身、今生において度せずんばさらにいずれの生においてか、 この身を度せん。 度す、と云う言葉の意味には、此岸から彼岸に至る、という意味があると 聞いております。 このことの意味を、生死出づべき道と頂きます。 そして、生死出づべき道とは、今、わ…

三帰依文を確かめていく① 追記あり

人身受け難し、いますでに受く。 仏法聞き難し、いますでに聞く。 この身今生において度せずんば、 さらにいずれの生においてかこの身を度せん。 大衆もろともに、至心に三宝に帰依し奉るべし。 自ら仏に帰依したてまつる。まさに願わくは衆生とともに、大道…

どこまでも深く、どこまでも高く

如来わが往生を定めしご恩。 これが真宗のご恩だと和田先生から聞かせて頂く。 どこまでも深く、どこまでも高く、本当に仰ぐべきものに 遇い難くして今遇うことを得た。聞き難くして、既に聞くことを得た。 どこまでも聞いていく。どこまでも確かめていく。 …

聴聞の根本動機

和田先生は仰った。 何のために佛法を聞いているのか?根本動機は何や?何を求めているのか? 本当に生死出づべき道を求めているのか? 僕は本当にただ自分が自分でありたいだけだと思う。そのほかに何もない。 そして、自分は、機能的にしか一切を認識でき…

諸佛証誠

どうか、選択本願念佛を信じてほしい。 どうか、阿弥陀如来にたすけられてほしい。 どうか、それぞれの命を精一杯生きて欲しい。 短いとか長いとか、いいとか、わるいとか、そういう計らいは微塵もいらない。 いのちはみな尊い。お互い係わり合いながら、関…

真宗とはわたしという存在を支えるものである

このブログを始めてからちょうど一年が経ちました。 また、自分を取り戻してからは一年半が経ちました。 この間、沢山の人に出会い、沢山のことを教わってきました。 それが世間で生きることにおいて、役に立つかどうかは、わかりません。 ただ、本当に自分…