むなしさとともに

悲しみが尽き果てるまで共に在る twitter https://twitter.com/oujouwogosuru?s=09 

2019-10-01から1ヶ月間の記事一覧

自然なる思案

十牛図という譬えがある。見性を通り、一周回って元に戻る。元に戻ったが、実は全然中身が違う。そして、最後は市井の人として、人々と交わり、酒を呑み、談笑し、伴に涙を流し、死んでいく。こういう格好つけない普通の姿に心惹かれる。なぜなら、全く無理…

忘れてはならぬこと

われもかれも、ただびとなり。 このことを忘れて高いところに行こうとする。人間は高くて明るいところが好き、 低くて暗いところへ行こうとしない。むしろ、避けるし、忌避する。しかし、身が大事なところなのだ。だって、自分の存在の現実、実際でありまし…

連鎖を終わらせる

苦悩、すなわち思い通りにならないこと。これに対峙した時、逃げたくなる。恨みたくなる。言い訳をしたくなる。他者のせいにしたくなる。つまり、自分の問題だと背負いたくないのだ。あまりにも問題が重すぎて背負いきれない。 そうすると、不平不満、愚痴、…

人間の本質(V.フランクル) 

人間存在はそのもっとも深いところでは、また究極的には、受難(Passion)であるということであり、またそれが人間の本質であること、つまり苦悩する者、ホモ.パティエンスであるということである(V.フランクル 苦悩の存在論p121 新泉社) パティエンスとは…

誰かのせいにするのは終わりだ

誰かに何かを期待していた。きっとわかってくれるだろうと。わかってくれない彼らが悪いと。随分そうしてきた。もうそういうことは終わりだ。誰もわからまいが、自分はやる。不完全だろうが、具体的に手を動かし、汗をかく。具体的に動く。心を動きで表す。…

むなしさを大切にしたい

そのむなしさを信頼しなさい。 かつて、和田稠先生が仰った言葉と聞いている。 振り返ると、物心がついたのは、おそらく、四歳くらい。幼稚園の記憶。同じクラスの子たちは淡々と折り紙を折っていた。でも、僕は全然折れなかったし、折り方を覚えることもで…

十地の階梯⑦九地 善慧地、十地 法雲地

ここからは少しも読めません。わからないのです。わからないことは、わからないのであります。だから、書くこともできない。 六地以降も同じでした。全く読み進めることができない、暫くして、少しずつ、読み進める。こういう進み方です。でも焦らなくていい…

十地の階梯⑥八地 不動地 無功用

参考 大乗仏典⑧十地経(荒牧典俊訳)中央文庫p243 かの菩薩にとって、主観客観の概念作用(ニ行)も個的実体の概念作用(相行)も、もはや、いかなるものも、いかなるしかたでも、あらわれない。 菩薩がこの階梯に入ると、七地までとは、全く異なる段階に達…

雑感

人間が救われるとは、念佛を通して佛の底知れぬ真実なる大悲に出遇い、まことの言葉、即ち、佛語と世間に含まれている、佛からの暗号によって教化されていくこと。即ち念佛往生が阿弥陀佛の救いのはたらきである。暗号の概念はヤスパースも示唆して下さって…

2泊3日研修会(無事終わりました)

このブログを見て下さっている方がどのような皆様なのか僕は存じ上げません。しかし、恐らく人生に対して、何らかの課題や疑問を持ち、立ち向かっておられる方々じゃないかなと思うのです。なので、もしよければ共々に聴聞の場でお会いできたら、とそういう…

迷いの直視、智慧の光明

煩悩はいよいよさかっている。悪性も止まない。浅ましいと思うが、やめられぬ。ここに一瞬の痛みがある。嘆くことなかれ。痛みは何によってもたらされているか。即ち智慧なり。光明なり。悪性を悪性と照らしいだす智慧なり。智慧がまことで、われは虚仮不実…