むなしさとともに

悲しみが尽き果てるまで共に在る twitter https://twitter.com/oujouwogosuru?s=09 

2017-10-01から1ヶ月間の記事一覧

そのままじゃぞよ

念佛は真の形。 形が即こころを顕す。心即ち大悲なり。 されば形は即ち大悲なり。 大悲の御声を聞くことは即ち念佛を申すなり。 その聞こえる念佛を、必ず助けると聞くばかり。 心が何を思うとも。この身が何をしようとも。 我が願力に障碍なし。そのまま貫…

追悼の意を込めて

ご縁のある方がお亡くなりになった。 それをご縁に思い浮かぶことを残しておきたい。 弔事に際して、ことばを捜したが、最中も、そして今も、結局ことばが 見つからなくて、ただ、ありがとうございました、と、それだけしか浮かばない。 そして、不思議と、…

流れるままに

固定化したら腐る。 留まると腐る。 念佛は湧き出るまま、流れるままに、専ら聞く。 専修念佛とは、専ら念佛を聞く、この一行をたもつ。 この念佛のいわれを聞く。 法蔵比丘の血と汗と涙と不退の覚悟を込めた言葉、 そして、衆生の、わたしの志願を見抜いて…

法蔵の願心

縁起の法とは、因縁が和合して、結果となる、と聞いている。 退転退屈、無常敗壊とは、因縁がほどけることだと味わう。 一切は因縁の和合に依って成立しているため、それが 保たれている間は、確かにある、存在する。 しかし、それがほどけると、姿形が変わ…

かけがえのない存在

人が死ぬ、ということはどういうことだろうと考えた。 存在が空白になってしまう。 その空白は、決して他の誰かや何かでは埋まらない。 その存在しか埋められない。 しかし、その存在がいなくなってしまう。 そして、それは逃れ難い。悲しみ、苦しむ。 そう…

無碍光如来は躍動している

ずいぶん聞き違いをしていたと思う。 こちらが、努力、あるいは前進し如来へ至る、あるいは、 心身を研ぎ澄ませねばならない。 これは聖道門である。竪の思考方式である。 浄土門は、横超他力。すなわち如来の方から、どうしても如来に至れない 者、すなわち…

助けるの仰せ

南無阿弥陀佛とは助けるの仰せ。 わが名を称えよ、必ず助ける。 たった十声なりとも念佛申すものが わが浄土に往生しないならば私は佛にならない。 形を通して大悲を頂く。 真面目になれず、煩悩丸出しのままじゃぞよ。 如来の御声がこの一声だとは知らなん…

無明を破る

無明の闇を破するゆへ 智慧光佛となづけたり 一切諸佛三乗衆 ともに嘆誉したまえり(浄土和讃) 釈迦如来は、一切有情の苦悩の根本原因を「無明」の故にと仰った。 この無明は深淵であり、これによって、無始乃至今日今時に至るまで、 流転し続けるのである…

本当に生きることが難しい

むなしさは、どうにもならんですね。 おそらくは、すべてに意味や価値を見出したいのでしょう。 しかし、如来は汝は迷いの凡夫なり、と仰る。 ここは迷いで、あちらは真実を求める、とかいうのではなくて、 一切が迷いであると仰る。一切とは例外がない、す…

お同行の言葉

土徳と善知識に育てられたお同行の言葉は、 たとえ理性的ではなくても、しみこむように感じる。 仏法を聞いたら、ちっとはましな人間になれるかと思っているが、 どうでしょうか、と尋ねたら、先生は「あんたは諦めなはれ。 ただ念佛申しなさい」と仰ってく…