むなしさとともに

悲しみが尽き果てるまで共に在る twitter https://twitter.com/oujouwogosuru?s=09 

2017-01-01から1ヶ月間の記事一覧

いのちを愛する

たまたま寄った銭湯のご主人の言葉。 オレは剣道五段やけど、兄ちゃん、剣の道で何がもっとも 強いか分かるか? いいえ、それはなんですかと答えると、 それはな、愛やねん。でも、何の愛かわからんねん。何でかわからんねん。 人を愛するということでしょう…

本願に信頼されている

信心で助かるのでもない。 念佛で助かるのでもない。 乗彼願力。お前を助けずばおかん。必ず助ける、という 如来の本願力、法蔵比丘の誓願で往生を遂げさせて頂くばかり。 わが身わが心、この相対有限の世界に自分をまかさない。さしおく。 助けずばおかん、…

事実と真実は違う

最近感じることがある。 それは、人は事実に支えられているということである。 事実とは、物質・精神両面において、様々な形をとって関わっている。 例えば、富、地位、家族、友、健康。 確かに今現在感じうる事実だといえる。 しかし、親鸞聖人は真・仮・偽…

修道、聞思、知進守退 追記あり

安田理深先生の本にご縁があった。 師の講義録に、このような意味のことが書いてあった。 見惑は強いが、断たれる時は一瞬である。 修惑は弱いが、続いていく。そして我執の奥に法執がある。 蓮の花の茎は、ポキっと折れるが、筋はなかなか切れない、ことに…

たすけてといえばいい

無縁社会という本を読んだ。 孤独死。老病死。 人間には、どうしても超えられない一線がある。 ヤスパースは『限界状況』という言葉で表現している。 それに対峙したとき、如何に自分が無力であったか、思い上がっていたか、 それらが初めて明らかになる。 …

度衆生心(仲良くしたいと思う心)

お経を読んでいます。 浄土三部経ではありません。雑行だと言われるかもしれませんが、 別に構いません。そういうことを気にする必要はもうありません。そのままです。 そのお経に嫌と云うほど出てくるのが『衆生のために』という言葉。 三帰依文でも出てく…

むなしさを信頼する

無縁の大悲。摂取不捨。 この言葉の出所を聞く。この出所を本願といい、南無阿弥陀佛という。 表面ではなく、言葉の本質、言葉の響き、いのちが形をとった言葉、 言葉となってまではたらくいのち。 それを聞くのだ、と。和田先生の『常没の凡愚』を聞かせて …

よろこびも悲しみも貫く

よろこびたいが、よろこぶばかりにはならない。 またよろこびだけでおさえられるほど、人間は浅くない。 人間は深いものだ。歴史と悲哀を背負っている。 明けましておめでとう。幸多からんことを。 どうにも違和感を感じてしまう。 よろこびも悲しみも苦しみ…

形から心を見出す

心は形をとって現われる。 形を通して心を見出す。 どれだけ心を粗末にしてきたか。どれだけ見落としてきたか。 心は必ず形をとって現れる。 形を通して心を見出す。 今年、自分が生活から確かめていかねばならない課題だと感じた。 法性法身は形をとって現…

光は照らすものである。 照らされて影が浮かぶ。 影以外に自分はなく、影を通して光に出遇う。 いつの間にか佛法に立って、一切を見下し、驕慢心を起こしている。 繰り返し繰り返し影に遇う。そこには痛みや悲しさややりきれなさが 付きまとう。どうして自分…