むなしさとともに

悲しみが尽き果てるまで共に在る twitter https://twitter.com/oujouwogosuru?s=09 

2020-07-01から1ヶ月間の記事一覧

善悪の差異

人と人が衝突し、摩擦が生じる理由は、 善悪だと感じた。 人によって、善悪が違うのだ。 常識だ、と思っていることが違う。 自分と違うことをする人に対して、違和感を 感じる。そのことを許せないというか、 我慢できないというか。 いろいろなことを学ぶに…

金剛不壊

たとえば金剛は百千劫において水中に処して、爛壊し異変なきがごとし。菩提の心もまたかくのごとし。無量劫において生死の中·もろもろの煩悩業に処するに、断滅することあたわず、また損減なし。 (顕浄土真実教行証文類 信巻 親鸞聖人 大谷派真宗聖典p2 2 2…

名をもって接したまう

我が弥陀は名をもって物を接したまう。ここをもって耳に聞き口に誦するに、無辺の聖徳、識心に撹入す。永く仏種となりて、頓に億劫の重罪を除き、無上菩提を獲証す。信に知りぬ、少善根にあらず、これ多功徳なり、と。(元照律師 弥陀経義の文 顕浄土真実教…

称名必得生依仏本願故

称名必得生依仏本願故というは、御名を称するは、かならず安楽浄土に往生をうるなり。仏の本願によるがゆえなり、とのたまえり。 (尊号真像銘文 親鸞聖人) この文章の前に、このようなお言葉がある。 正定之業者即是称仏名というは、正定の業因は、すなわ…

右往左往しています

本当はね、評価したくもないし、 されたくもない。でも、社会に身を置く以上避けることはできない。 だから、きついこともつきつけないといけない。 流れは変わらないし、変えることはない、と。 会計とフィンテックは非常に相性がいいのです。 だから、単純…

なぜ聞法するのか

真宗は聞くことに極まる、と仰られる。 聞というは、衆生仏願の生起本末を聞きて疑心あることなし、これを聞というなり、と親鸞聖人は教えて下さった。 具体的な衆生とは、僕のことであり、他の誰でもない。他の方は助かった人かもしれないが僕は違う。 助か…

新たな船出

土日はTA(交流分析)の一泊二日の研修に 参加しました。 目的は、どうすればうまく他者とやりとりができるのか、という技術と知識を学ぶためです。 知らないことばかり、人間の洞察、分析の鋭さに驚きました。 また自分の認知、認識能力、言語、表現に癖が…

身につける

曽我量深先生の言葉、 往生は心にあり、成仏は身にある、と。 身とは、今この身であるし、土でもある。 自分はこの土に属している訳で、自分と 無関係に土がある訳ではない。 僕は思うのです。悲しく、辛い生存は この一期で終わりにしたい、と。 もう差別、…

信の深まり

自分がいよいよ助からない存在、 どうにもならないものであること、 人間の身をまとってしまっていること、 これらが明らかになること以外に特別な ことがあるわけでもない。 伝統的には機の深信であります。 決して助からぬ身を必ず助けて下さるのが 本願で…