むなしさとともに

悲しみが尽き果てるまで共に在る twitter https://twitter.com/oujouwogosuru?s=09 

2016-10-01から1ヶ月間の記事一覧

真宗とはわたしという存在を支えるものである

このブログを始めてからちょうど一年が経ちました。 また、自分を取り戻してからは一年半が経ちました。 この間、沢山の人に出会い、沢山のことを教わってきました。 それが世間で生きることにおいて、役に立つかどうかは、わかりません。 ただ、本当に自分…

ただ称えよの仰せ

如来の作願をたずぬれば 苦悩の有情をすてずして 回向を首としたまいて 大悲心をば成就せり 親鸞聖人のご和讃です。 本願の目当ては苦悩の有情です。 自分の思いに、他者に、世界に、がんじがらめになって、身動きが とれず、いつもどうしたらいいんやと思い…

存在の歴史

確かに今、人として生まれた自分は、本当に頼りなく、 力のなく、慈悲のない者である。それは事実である。 変えようがない。 しかし、今人として生まれたということは、 数え切れないにんげんの歴史の上で、たまたま起こったことと いえる。 生まれてすぐ無…

極重悪人とは誰か

なぜ苦しいのか。なぜ孤独なのか。 その答えを外にばかり求めてきた。しかし、答えは外ではなく内にある。 我が身さえよければいい。他はどうなってもかまわない。 そもそも関心がない。わが身の安穏さえ保てればそれでいい。 他を責める心が止まない。一切…

だからこそ、一緒に

光明無量は、知っているよ。 寿命無量は、一緒にいるよ。 十方衆生は、私ひとり。 十方衆生は、貴方ひとり。 私のことを、罪悪甚重煩悩成就の凡夫よと仰る。 悪人とは、人を傷つけ、差別し、他のいのちを奪うことが やめられないもののこと。 それは自分のこ…

聞かせて頂いたこと、そして思うこと

人はよいと思うことしかしない。 地獄とは、堕ちるものではなくて、人間ははじめから既に地獄に堕ちている。 地獄に堕ちているとは、地獄をはらんでいるというか、具足というか、 それから逃れられないということ。 それが各々の縁にもよおされて露わになる…

如来選択の道

故法然聖人は、「浄土宗の人は愚者になりて往生す」と 候ひしことを、たしかにうけたまはり候ひしうえに(ご消息十六通真宗聖典p771) 愚者とは、自分で道を歩めない者すなわち自分のこと。 その愚者は、自分自身の願いや望みさえわからず、生を貪るような …

ただ称えよの仰せ

依るべきものがなく、できることもなく、わかることがひとつもない。 とても悲しいことだと思うが、これが自分の実相。 何か分かるとかではなくて、本当に一切何も分からない。どうすればいいのか わからない。何をすべきかも、何を望んでいるのかもわからな…

ひたすら教化を受ける

仏法は広めるものではなくて、広まるもの。 それは、最も教化を受けた者から自然に広まるもの。 和田先生の言葉。 そもそも自分は伝えられる力がないのだ。 自分は教化を受けるもの、 どうか念佛してくれと呼びかけられているものなのだから、 それに相応し…

迷いのただ中だ

自分の思いから一歩も出られない。 思いとは、自分の都合。 煩悩と有限と身は一体であると教えて頂く。 そして、この身が所属しているこの世界は穢土といわれる。 穢土とは、堪忍の土(世界)ともいわれる。 本当に迷っているのだなと思う。どうしても分別が…

法を握らず、歓びを握らず手放す

佛に値遇するということを、即得往生といい、 初歓喜地に至るともいい、正定聚に住するともいう。 初歓喜地とは、菩薩が退転の位、すなわち、十信、十住、十行、十廻向という 境涯を超えて、初めて、不退の位に達すると大いなる歓びが起こる、と 聞いていま…

忘れていたもの

このごろ気になることがありました。 それは、どうして言葉が届かないのか、ということ。 答えは目の前に、いや、身に寄り添っているのに、なぜ届かない? あるいは、どうして自分は大事な人のことを受け止めてあげることができないのか? なぜ理解してあげ…

如来如実の言

五濁悪時の群生海、如来如実の言(みこと)を信ずべし(注釈版真宗聖典p203) 正信偈にて、親鸞聖人が仰る言葉です。 信ずべしとは、聞即信、すなわち聞くしかないということ。 何を、如来選択の念佛のいわれを。 聞こえるまで、たとえ聞こえても、いよいよ…