むなしさとともに

悲しみが尽き果てるまで共に在る twitter https://twitter.com/oujouwogosuru?s=09 

2019-11-01から1ヶ月間の記事一覧

明鏡止水

明鏡止水は自分の心ではない。もろともに往生を願い、できることに励む。如来の願心が明鏡止水、すなわち、寂静。寂静は柔軟であり、柔軟は堅正であり、かつ、しなやかである。凛とし、気品のある、眼差しと佇まい、寄り添うあたたかい言葉。同じ大地に共に…

思い通りにしたいのだな

苦悩の内容は、自分の思い通りにならないことを憎むこと。他者を変えようとしたり、変えれると思う、その根性が自力なのだなぁと思う。助からないなぁと思う。そこに大悲念佛によって、我汝と共にあり、我が名を称えよと念佛を申す。国土の名字仏事を成す。…

往生の中に今在る

往生は生活である。往生は我等の精神生活である。(親鸞の大地 津曲淳三p21)曽我量深先生の言葉を考える。この残りの人生は何の意味があるのか。どうして信心決定の一念で、この身を滅ぼして下さらなかったのか。生存にどういう意義を見い出せばいいのか。…

先達の言葉

先んじて、人の身を生きてこられた方の言葉、法を求めてきた方の言葉に耳を傾ける。その人にはたらく法を感受することで、法の普遍性を確かめる。おぉ、共に大悲がはたらいておられる、と。諸仏護念の益を感ずる。答えを求めるのではなくて、問い続け、求め…

浄土の大菩提心

悲しい現実はたとえ何も変わらないとしても、誰も関心がなくとも、やり抜く。諦めない。必ず形が心を貫く日が来る。心を射抜く日が必ず来る。道半ばで刀折れ矢尽き果てても、道を継ぐものが現れる。 道は続いていく。往生は道なり。尽き果てぬ道なり。 悲し…

僕はとてもとても悲しい

暫く頻度を落とします。考えつつ、動く。動きつつ、考える。最近は、お寺へ通う機会もかなり絞り、先生も絞っています。その中で、相続下さるはただ念佛の一行であります。他者をどうこうするとか、他者はどうだとか、僕にはもうどうでもよい。専ら仏様の心…

必帰最勝直道

大聖一代の教、この徳海にしくなし。穢を捨て浄を欣い、行に迷い信に惑い、心昏く識寡なく、悪重く障多きもの、特に如来の発遣を仰ぎ、必ず最勝の直道に帰して、専らこの行に奉え、ただこの信を崇めよ。 (顕浄土真実教行証文類序 親鸞聖人)なぜ生まれてし…

生存における緊張感

日常が再び始まった。自分の在り方が試される。柔らかさの中にしなやかさ、いわゆる厳しさも含んだ上で、やりとりせねばならない。労働を提供する代わりに賃金を得る。賃金を得るなら、質の高い労働を模索せねばエントロピー、すなわち、無常に苛まれ、劣化…

余韻

輪が鳴り、静かに止むまでに余韻がある。微かに音が響いている。それに似た何とも云えぬ残響の中にいる。明日からまた日常が再開する。また勝負が始まる。自分との対峙。沢山の方のお話を聞けて良かったと思う。ともに、凡夫がいる。沢山いる。僕もまたその…