むなしさとともに

悲しみが尽き果てるまで共に在る twitter https://twitter.com/oujouwogosuru?s=09 

2017-06-01から1ヶ月間の記事一覧

形から心を聞く

心は目に見えない。 だからといって、ないわけではない。 形を凝視すれば、心を見出すことができる。 心は形に現れる。形とは姿、相である。 南無阿弥陀佛とは、大悲の相である。 大悲の相とは、喚ばふ、ということ。喚ばふとは、喚び続けるということ。 喚…

おぉ阿弥陀よ

よびづめ たちづめ 招きづめ 弥陀は焦がれてあいにきた そのお姿が南無阿弥陀佛(松並松五郎先生のおうた) このくちにあらわれたまう念佛がまさか如来ご自身であったとは。 まぁご親切に、自分がいなければ阿弥陀にならんですんだのに ほんにご苦労をかけま…

またしばらくお休みします

122 一宗の繁昌と申すは、人の多くあつまり、威の大なる事にてはなく候う。一人なりとも、人の、信を取るが、一宗の繁昌に候う。しかれば、「専修正行の繁昌は、遺弟の念力より成ず」(式文)と、あそばされおかれ候う(蓮如上人御一代記聞書) 立派な法要に…

法性のまこと

弥陀佛は自然のやうをしらせんりょうなり(末灯抄) いろもなく、かたちもない、言葉尽き果てた無上佛。 そのお心は、すべてのいきとしいけるものを、すべてもらさず、 立派にしてやりたい、という大悲。 無上佛を法性のまことと藤谷秀道先生は仰った。 弥陀…

存在の有様

衆生とともに、ほかのいのちとともにしか存在できないにも限らず、 自分はほかの命を貪り、利用し、捨てるようなことでしか生きられない。 いくらすべきではない、と思っても、それを止める力がない。 気がついたら、もう、すでに、している。 自覚のないと…