むなしさとともに

悲しみが尽き果てるまで共に在る twitter https://twitter.com/oujouwogosuru?s=09 

2020-09-01から1ヶ月間の記事一覧

ZOOM研修会のご案内です

【事前案内】 11/7.8の土日9時〜17時でZOOMの研修会があります。 講師のご法話、全体座談の繰り返しになるかと存じます。 初日の午後、僕もお話の時間を少し頂く予定です。 会費は一日4,000円です。 もしご興味があられたら、コメントにメールアドレスを頂け…

摂取心光常照護

摂取心光常照護というは、信心をえたる人をば無碍光仏の心光、つねにてらしまもりたまうゆえに、無明のやみはれ、生死のながきよ、すでにあかつきになりぬとしるべしとなり。(尊号真像銘文 親鸞聖人 東聖典p532) 光とは照らすもの。照らすということのはた…

実際に念佛するということ

仏、阿難に告げたまわく、「汝好くこの語を持て。この語を持てというは、すなわちこれ無量寿仏の名を持てとなり」観無量寿経 流通文より。 これは、仏が阿難尊者にだけ仰ることではない。流通文というのは、どうかこのことは必ず後世に伝えてほしいという意…

静寂

朝の静けさが好きだ。 動いていないというか、動く前の静けさ。 動き終わった後の静けさ。 音も無く、少しずつ明るくなっていく。 涅槃寂静という言葉の響き。美しい言葉。 静けさから動きに変わっても、 なお失われない静けさというものがある。 原点といっ…

どうして聞法に行くのか

聞かねばならない、助からぬ身を離れることがどうしてもできないからだ。 どうやっても、この心身の影響を受けざるを得ない。 この身は無明住地から生起しているので、余すところなく円満に煩悩に染まっている。 しかし、だからこそ、汝を助けんという念佛の…

【再開します】光

最近、ずっと考えている。 凡夫には、自分を凡夫だと自覚することはできないはずだ、と。 なぜ自覚できるか?必ず自分は凡夫であると。 その理由はひとつ、光が届いておられるから。 だから、自分を嘆くことやめ、専ら大悲を憑めと先達、善知識は仰せられる…