2019-06-01から1ヶ月間の記事一覧
まだ道は半ば。否、半ばにも達していない。 でも、確かに始まっている。 油断せずにいこう。慢心というぬかるみに 足を取られるが、着実に一歩ずつ。 転けてもまた立ち上がろう。擦りむけは いずれ治る。 南無阿弥陀佛
自分だけ助かって終わるのではなくて、 同じ地平に立ってともに本願念佛を仰ぐ。 ともに尋ねていく。ともに聴聞する。 そこには自分一人では決して辿り着けぬ 何かがある。それを寂静とか涅槃というのだ と思う。すべて終わった世界。また始まる 世界。往生…
A>B A=自分 B=他者 できないより、できる方がいい。 ないより、ある方がいい。 自分はあの人よりマシだ。 この心が流転の根、地獄の元であろう。 死骸のような心。腐り切った心。 どうしてもこの心を離れることが できない。故に無始より流転しているから…
ニヒリズムを超えることは、 人間の知恵、分別知では難し。 意味を見出し続けることは非常に困難で あり、果てがない。 もしも、超えることがあるとすれば、 自分の感情、感覚をさしおき、相手に しないこと。むなしさはなくならない。 悲しみもなくならない…
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/聖胎長養 また言わく、信は道の元とす、功徳の母なり。 一切もろもろの善法を長養す。 (親鸞聖人 顕浄土真実教行証文類 信の巻) 華厳経のお言葉を引かれておられる。 念佛往生とは念佛の信を長養することだと 思う。現実…
誰からも見向きもされず、大事にされず。 代わりは幾らでも居て、不安と老いに 怯えている。 だからといって、何もしない訳にはいかない。 弱者には弱者の意地があり、家族があり、 内に秘めた涙もある。 だからこそ、黙ってすべきことに 打ち込む。ことと一…
助かるとは、一体どういうことか。 即ち、雑行を棄てて本願に帰すということは 如何なることか。 安田理深先生の言葉があった。 その自覚で苦悩から助かるという意味でなしに、本当に苦悩できるという意味で助かるのではないか。 苦悩がなくなって助かるので…
ただ念佛して弥陀にたすけられまいらすべし というよきひとの仰せ。 わが名を称えよという本願。 助からぬ存在、すなわち、自他を傷つけ、 貪り、本当に進むべき道も分からず、 ただ立ち尽くし、傍らにうずくまって、 誰からも見放され、見捨てられた存在た…