むなしさとともに

悲しみが尽き果てるまで共に在る twitter https://twitter.com/oujouwogosuru?s=09 

2018-08-01から1ヶ月間の記事一覧

月明かりを見て

光に一切へだてなし あさましき身の我にさえ 慈悲の光明あたたかく 智慧の光明清らかに 届いて下さる 弥陀の喚び声 浅ましい日暮しをやめることができない。 奪わずに、騙さずに、隠さずにはおれぬ自分のすがた。 すなわち助かりようが微塵もない。 だが、如…

名無往生文 八地 不動地

十地経にのたまわく、八地以上の菩薩の行は無功用である、と。 わたくしが考えまするに、七地以前の菩薩の眼目は自利である。 自利には限りがある。広がりと深さがなく、我執の習気を感じる。 聞其名号、大悲が届いたとき、大いなる歓喜が起こる。 それは刹…

名無往生文 佛徳讃嘆

親鸞聖人正信念佛偈にいわく、帰命無量寿如来 南無不可思議光 天親菩薩 無量寿経優婆提舎願生偈にいわく、 世尊我一心帰命尽十方無礙光如来願生安楽国 わたくし名無にいわく、 われ無限なる如来の大悲に帰命せしめられ、今ここで念佛を申し、耳に聞かせて頂…

名無往生文 われら人間の観察について

人間は多面的存在である。立体的である。 多面的とは次のような意である。 わたしは子である。わたしは兄である。わたしは孫である。 わたしは日本人である。わたしは男性である。わたしは父である。 わたしは祖父である。わたしは「役職」である。 気づくべ…

名無往生文について

浄土真宗において、タスケラレル法はすでに南無阿弥陀佛として 仕上げられています。しかし、われら衆生には機縁が 熟すまで南無阿弥陀佛を信受することが起こらない。 衆生に起こらないということは自分も助からないということである。 大乗の菩薩は無住処…

名無往生文 不退転について(位と行)

現在は西暦二○十八年八月の候なり。時は末法の頃なり。 佛教、われらが浄土真宗に言われるところの不退転に二の側面あり。 これ自身に已証されたところの功用なり。 一つには地不退という。凡夫地不退ともいう。 正しく自身は煩悩具足の凡夫、我生死出づるこ…

本願を証しする

弥陀の本願は見えない。今は如来を直接拝見することはできない。 教えはあるが、行がない。行ずる力がない。 法は弘めるものでなく、本当に教化を受けた人から自然に弘まるもの。 如来は我らに要求している。 法を証ししてくれ、と。法を表現してくれ、と。 …

無功用

達磨大師の言葉に、無所得があると聞いております。 曽我量深先生の言葉に、回向は表現であるというものがあります。 往生は表現であると僕は思います。そして、それを表現する人を 諸仏に等しい方々だと思います。そして、その方々は今も満ち満ちて おられ…