むなしさとともに

悲しみが尽き果てるまで共に在る twitter https://twitter.com/oujouwogosuru?s=09 

2017-05-01から1ヶ月間の記事一覧

衆生とともに

人身(にんじん)受け難し、いますでに受く。仏法聞き難し、いますでに聞く。この身今生(こんじょう)において度せずんば、さらにいずれの生(しょう)においてかこの身を度せん。大衆(だいしゅう)もろともに、至心に三宝(さんぼう)に帰依し奉るべし。 …

助けるの仰せ

如来は待っている。衆生を信じて待っている。 ただ待っているのではなくて、動きながら待っている。 すべてを知り抜いて、どうしても助からない、迷いに埋もれるしかない このわたしを、だからこそ、我は決して汝を捨てない、と仰っている。 これが弥陀の誓…

有縁の知識

私が現在ご縁のある先生方については、事前に相談等も必要だと 思いますし、その人の信仰の状況にも関わることなので、 このような場では申し上げるつもりはありません。 しかし既に往生された先生方ならば、お伝えできると思います。 二人おられます。 藤谷…

願力無窮

無明長夜の燈炬なり 智眼くらしとかなしむな 生死大海の船筏なり 罪障おもしとなげかざれ 願力無窮にましませば 罪業甚深もおもからず 佛智無辺にましませば 散乱放逸もすてられず(正像末和讃) 自分の心と我が身を相手にしない。そこからは妄念妄想以外に…

聞思

しばらく疑問を至してついに明証を出だす(顕浄土真実教行証文類 信巻) 親鸞聖人の聞思の姿勢を感じる。 言葉を掘り下げる、文章は行間を読む、仏法に体当たりをする。 専ら念佛を聞く。 僕には、時々このようなことに浸る時節があるようです。 止観、観察…

如来との対話

比較の煩悩が起こり、惨めな気持ちが湧いてくる。 持つ者を羨み、ねたむ。そして、落ち込みそうになる。 すぐさま一声、如来が仰る。 弥陀がおるぞよ。弥陀じゃ不足か? あぁ、そうだった、阿弥陀さんまします。助けると仰せがあった。 いいえ、まことに十分…

貫き徹す

念佛は無碍であり、無碍とは貫き徹すことである。 これが自分が体解している仏法であります。 念佛が塞がろうとするわが心をこじ開ける。 本願がわが身を助からない身に引き戻す。 願力無窮、無為自然。 苦しみ嘆き悲しみに心身を浸す。つかる。沈む。どうに…

師に遇えたよろこび

曠劫多生のあひだにも 出離の強縁しらざりき 本師源空いまさずば このたびむなしくすぎなまし(高僧和讃) 生きた念佛の行者である先生に出遇わせて頂き、 とても嬉しく有難く思っている。先生は、苦労を重ねられ、沢山の先生に 道を尋ねられ、苦悩し、念佛…

一匹の虫

たまたま手に虫が止まった。 たまたまである。 なぜ自分と彼は出会っただろう? なぜだろう?不思議の因縁を思う。 手に触れて、彼は飛び立っていった。 彼と自分には、ともにひとつの命がながれている。 不思議な因縁を感じる。彼に仏縁あれかし。 南無阿弥…

大悲のいわれ

もろもろの衆生を視そなわすこと、自己のごとし(仏説無量寿経) 自分と衆生、わたしを分けずに自身として、 私の上に必ず本願を成就しようと大悲を起こされ、 敢えて言葉に成り下がり、南無阿弥陀佛の声にまで 成って下さったご親切。 それを南無阿弥陀佛の…

念佛は無碍なり

念佛は無碍なり。 無碍とは我が身我が煩悩を貫くなり。 貫くとは障りなく、届くなり。 届くとは聞こえるなり。 聞こえるとは称えるなり。 称えるままが聞くことなり。 念佛は貫くなり。専ら弥陀の名号を聞く。 我が身我が心のありように囚われず、専ら念佛を…