むなしさとともに

悲しみが尽き果てるまで共に在る twitter https://twitter.com/oujouwogosuru?s=09 

2017-04-01から1ヶ月間の記事一覧

如来ともにまします

絶望を光に転じる出遇いだった。 念佛との出遇いから、もうすぐ丸二年である。 もしも救われるということがあるのであれば、 自分一人ではなく、一切のともがらが、ともに浄土へ 往生することであろう。信心は所有物ではなく、 身につくものであると金子先生…

いのちのともがら

十方衆生とは、みなご縁のある者ということだと思う。 われらは、弥陀に助けられるべき存在であり、業が違うので、 姿形性格、性別さまざまな違いはあるけれども、 生まれてしまった者、必ず死に帰さねばならない者という点において、 全く同質のともがらで…

一向専修

法然聖人、親鸞聖人は一向専修の人であったはずだ。 その流れを組む者であれば、念佛を申せという仰せに 従い、念佛を専ら聞くのが自然であろう。 祈願請求の念佛ではなく、わざわざ南無阿弥陀佛にまで 成ってくださって、今ここに声に出でて下さる。 念佛に…

無有出離之縁 追記あり

出離の縁がない、助からないということはどういうことかというと、 この身この心では、十悪五逆誹謗正法という生活から、 どうしても離れることができないということだと思う。 生死流転とは経巡り続けるという響きがある。 出所、上流が腐っていれば、以下…

であい

ひとつひとつのであいが、今のわたしをつくっている。 これからもつくってゆく。 つくりつづけてゆく。 あのであいがなければ、いま、ここにあるわたしではなかった。 ながしたなみだも、かなしみも、くやしさも、みじめさも、 いきどおりも、よろこびも、む…

勅命

如来の勅命に従う。 ただそれだけ。 われに用事なし。そのまま貫く南無阿弥陀佛。

言葉尽きて

いよいよ言葉が尽きてきました。 専ら仰せに従う。 それだけであります。 乃至十念 若不生者 不取正覚 (仏説無量寿経 第十八願 念佛往生の悲願) 我が名を称えるばかりで、必ず我が浄土に生まれさせる。 汝は念佛を申すだけでよい。一切は弥陀が全責任を負…

助けるの仰せ

一声の念佛は、汝を必ず助ける、との如来の仰せ。 自分の口を通るけれども、自分の行ではない。 如来の大行である。 大行とは無碍光如来の御名を称するなり(教行信証) 名となり、声となった如来が今ここで口に称え、耳に聞こえる、 南無阿弥陀佛。 南無阿…

他の方便さらになし

極悪深重の衆生は 他の方便さらになし ひとへに弥陀を称じてぞ 浄土にむまるとのべたまふ(高僧和讃 源信和尚) (意訳) 極重の悪人である我々は、他の善行や他の仏菩薩の力で救われる 方法はさらにない。 ただ弥陀の名号を称えて、浄土に生まれることがで…

一対一の関係

如来と自分は直の関係であり、 他の一切が介在する余地がない。すきまがない。 念佛が如来に帰す。一声の念佛が戻す。 かたちなき本願力が言葉になってはたらいてくださる。 他力とは如来の本願力なり、のお言葉を思う。 憶念とは、自分が如来を思うのではな…

選択

決断をする時は、複数の中から「ひとつ」をえらんでいる。 選択とは、取捨選択。 数え切れない選択肢の中から、如来の智慧、大悲を込めて取捨選択した行、 どうにもならないわたしの為に、ただひとつを選び取ってくださり、 自身が念佛と成り、行とまで成っ…

念佛とともに

死にたくはないが、どうしても生きねばならない理由はない。 難儀は嫌だが、それは避けられない。自分のこれまでがもたらしたものだから。 宿業や一生造悪、極重悪人という言葉は、誰かに用いてよい言葉ではない。 自分が『自分自身』にしか、用いることを許…