むなしさとともに

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2021-01-01から1年間の記事一覧

今年のふりかえり

昨日は仕事納めで、大過なく終えることができました。 なかなか忙しかった一年、光陰矢の如き年でありました。 少し確認したいので、つらつらと書いてみたいと思います。 1月 アシスタントが退職、自分は体調不良で発熱、PCR検査、陰性であった。 2月 新しい…

現実へのかかわり

先生から【聞法会を開きなさい】という言葉をみちのかいの時に頂いて、ずっと考えていました。 僕は僧侶ではないので、教学がありません。 今、パソコンを持っていないので、ZOOMで場を開くのもまだその時ではないと感じました。 ただ、想定しないわけではあ…

当事者になるということ

この一ヶ月何となく気になっていたことが、【当事者になる】ということでした。 どこでも、よくあることだと思うのですが、口では立派なことを述べる。あれが悪い、あの人が悪い、と。 うむ、それはわかった。それで、あなたはいつまでに、何を、どうするの…

葉は落ちるもの

一段と寒い気がしました。 木々には残り僅かな葉がついており、それらも紅葉が進み、やがて風に吹かれ、地に落ちる感があります。 葉は落ちればいいのだ、とそう思っています。これは循環の一部であり、止められることではありません。 憎むことでもありませ…

なんとなく

まだ冬ではありませんが、次第に風が冷たくなってきました。 諸々落ち着くかと思ったら、11月一杯は予定が多くて、ざわざわしています。 ブログを始めてから6年が過ぎたと申しましたが、聴聞を再開してから、も6年半となります。 再開の方が半年早いのです…

無量寿佛の御名を持て

仕事が忙しく、ペースが戻ってなくてごめんなさい。競争社会で足掻いております。 直近の聞法会から早2週間とか、早すぎますね。 僕は僧侶ではないので、教学はありません。信者でもありません。ただの社会人です。 今も、かっぱえびせんを食べつつ、携帯か…

二種深信

こんばんは。寒くなりましたね。 仕事終わりに書いています。 やっと身も心も少し落ち着いてきまして、 少しずつ考えてみたいと思います。 今回の法座で、あらためて教えて頂きました。 自分は渇愛の塊である、と。 突き上げてくる意欲に動かされている存在…

一週間が経ちました

みちのかいを終えて、一週間が経ちました。少し落ち着いてきたので、言葉にしてみようと思いました。まずは、無事終わって良かった。これに尽きます。佐野先生、現地参加の方、ZOOM参加の方、色々な方の力を借りて、閉会できたことを感謝しています。今回は…

浄土真実の行

諸仏称名の願 浄土真実の行 選択本願の行 大行とは、すなわち無碍光如来の御名を称するなり。この行は、すなわちこれもろもろの善法を摂し、もろもろの徳本を具せり。極速円満す、真如一実の功徳法海なり。かるがゆえに大行と名づく。しかるにこの行は、大悲…

何を聴聞するのか?

みちのかい、という聴聞の場がひらかれるまで、あと二週間となりました。 会が終わり、家に着くのは10/31(日)21時過ぎくらいになると思うので、そこまでは気を抜けないと思っています。家に帰って、初めて終わります。 今回は地方の聞法会と日程がかなりか…

メダカのすがたを通して

僕はメダカを飼っています。 10月に入り、彼の具合が悪く、立ち泳ぎの状態になってしまいました。 おそらく寿命です。 彼には兄が居たのですが、兄は先立って逝きました。その前に、彼の父も居たのですが、やはり今年先立って逝きました。 もともとメダカを…

聞法し続けていく

僕自身の聞法における起点の師は、藤谷秀道先生です。 その前に、出会いがなかった訳ではないのですが、藤谷先生とのご縁がなければ、再び聴聞に赴き続けていく、ということはなかったのではないかと思うのです。 まだ明らかにせねばならないことがある。 十…

テーマ:再び原点を掘り起こす

※本件はZOOM法座を開くにあたり、案内状に掲載したものです。 念佛申す中で、生活をしていますか? 念佛申しつつ、本願のいわれ、念佛にまで成って下さった大悲を聞きなさいと言われます。聴聞の場だけで聞法するのではなく、むしろ聴聞の場の外で気付かされ…

【ご案内】第5回みちのかい開催について

有縁の皆様へ この度、【第5回みちのかい】というオンライン法座(ZOOM)を開くはこびとなりました。 本当は共にひとところに身を置く研修会ができればよいのですがコロナ禍を加味し、オンラインのすがたを取らざるを得ませんでした。 基本的にはどなたでも…

誓いの名声とはどこにあるのか

※本件は第5回みちのかいのテーマ案の一つとして作成した文章です。身に引き当てて聞く、ということにこだわっています。つまり、他人事ではないということです。 ※重誓名声聞十方。誓いの名声は今ここに称えさせられ、聞こえて下さる南無阿弥陀佛のほかに、…

痛焼の衆生とは誰なんだ

※本件は第5回みちのかいのテーマ案の一つとして作成した文章です。身に引き当てて聞く、ということにこだわっています。つまり、他人事ではないということです。 静かに自分の生活を省みる。必ず【ひと】がそこにいる。独りでできることなどたかが知れてい…

再び原点を掘り起こす

10/30(土)31(日)開催予定の第5回みちのかいのテーマについて、 【再び原点を掘り起こす】とさせて頂きます。(こちらについては、現在案内状を作って頂いており、もう少しお時間を頂戴します) このテーマについて記載したいと思います。 第4回のテー…

聴聞の場が起こることについて

・人を信じるということ ・現場のど真ん中から「人間」を考える ・いったい何のために仏法を聞いているのだろう ・原点の迷失 これまで年に一度、4回開かれてきた会座があり、その年毎のテーマが上のものになります。 1回目は参加者として、2回目以降は、…

雨音が聞こえる

今、雨がしとしと降っています。 雨音が聞こえます。 雨音が聞こえる=雨が降っています。 イコールでありますが、前後があります。 雨が降っているから雨音がするのです。 念佛が聞こえて下さる=念佛させてやりたいと憶いづめの方がまします。 なぜなら自…

煩悩を摧いてくださる光

解脱の光輪きはもなし 光触かふるものはみな 有無をはなるとのべたまふ 平等覚に帰命せよ 輪の字の左訓 くだく。解脱といふは、悟を開き仏になるをいふ。われらが悪業煩悩を阿弥陀の御光にて摧くといふこころなり。 光触の左訓 光を身に触るるといふこころな…

平凡に歩みを進めていくだけ

今、帰りの電車の中です。 最近は更新が滞りがちですねぇ。何となく書きたいことが思い浮かばないのです。 僕には殊勝な心がないので、誰かを教化したいという思いがありません。 信仰や哲学を希求する、必死になって探すというのは、時節によると思うのです…

南無阿弥陀佛と聞かされるばかり

浄土真宗は聴聞に極まるといわれます。 聴聞とはお寺へ足を運び、お説教を聞く。寺を出たあとに生活を通して説かれた法を確かめていく、吟味することです。 (そんな簡単に信じることなどできない、託すことはできない。僕はそうです。確かめる必要がある) …

歎異抄聴記⑩まことの言葉

だいたいにおいては聖人は法然上人のひざもとへいかれる前に法然上人のおおせとはほとんど同じところまで進んでいられたにちがいない。ただ法然上人の一言を聞けばよい。なにも複雑なことを聞く必要はない。ただ一言を聞けばよい。その一言とは「ただ念仏し…

歎異抄聴記⑨七地沈空の難を超えさせてくださるもの

念仏に張り合いがない、勇みがない、勇猛心がなくなってくる。これがつまり菩薩のうえでいえば、七地沈空の難である。これは菩薩のある倦怠期である。求むべき菩提もなく、度すべき衆生もない。(p258 歎異抄聴記 曽我量深師) 解ったという喜び。 確かにな…

横截五悪趣悪趣自然閉

「横截五悪趣悪趣自然閉」といふは、「横」はよこさまといふ、よこさまといふは如来の願力を信ずるゆえに行者のはからいにあらず、五悪趣を自然にたちすて四生をはなるるを横といふ、他力と申すなり。これを横超といふなり。横は竪に対することばなり。竪は…

地獄について

地獄について思う。 地獄は世界があるのではなくて、自分の居る場所において、自分が感得するものであろう、と。人間界は六道の相があるという。この言葉にも感じ入るものがあるが、別の機会とする。 どうしてもそこに居れないところを地獄という、と師は仰…

歎異抄聴記⑧後念相続

われわれは常に信の一念に立つべし。われわれは後念に立つということはないものである。われわれは常に信の一念に立てというのが、第九条のご教訓の精神である。いのちのあらんかぎりはむろん、乃至一念である。(歎異抄聴記 曽我量深師p258) 僕自身は歎異…

この頃のこと

ブログの更新頻度が落ちています。 仕事がなかなか忙しく、人足が減っているけれども、新しいことにも業務領域を広げつつあります。 3つの業務に加え、4つめの内容です。業務というまではいかないけれど、企画提案の要素があります。提案したものを現実に…

歎異抄聴記⑦本願の機は誰か

身とは一生涯変わらぬ自分である。自分の心は時々刻々に変わるが、わが身は一生涯貫通して変わらない。ゆえに「自身」という。衆生とはすなわちわが身である。われら衆生である。「罪悪深重煩悩熾盛の衆生」。すべて宿業に悩まされている苦悩の衆生をすてず…

この世界に所属するということ

最近はTwitterも頻度が減ってきました。 なぜかなと思うと、ご利益によるのだと思うのです。批評家に陥りたくはない。言葉だけでなく、言葉と行を以て現実に向き合う時、問題は他者ではなくて、自身だと思うのです。 他者のことを批判できる者なのか、と。 …