むなしさとともに

悲しみが尽き果てるまで共に在る twitter https://twitter.com/oujouwogosuru?s=09 

2018-05-01から1ヶ月間の記事一覧

佛法

自分の全存在をかけてぶつかっていけば、 必ず法蔵菩薩は本願念佛をもって相応して下さる。 いのちを投げ入れるだけの価値を包含する故に、 釈迦如来滅度以来、二千五百年以上の歴史に堪えて 下さったのだろう。 釈迦如来や親鸞聖人がご覧になった月を今見上…

専修念佛

汝、助からぬ者よ、専らわが名を称えよ。必ず助ける。専ら念佛せよの仰せに帰順する。佛の願に順ずるが故に決定往生のおもいをなすべし。親鸞聖人と法然聖人の思し召しは不二であろう。われに別の道なし。専ら弥陀に帰命致します。南無阿弥陀佛

後念相続

縦と横と高さ、それに加えて真実の時間。 人間世界は三次元で、有限であるが故に広げようとしたり、 はみ出たり。故に衝突と摩擦と煩悩は止む暇がない。 しかし、如来は常住であり、念佛に帰れば智慧がはたらき 生死即涅槃、色即是空空即是色、そのままであ…

柔軟心の利益

我執は否定されることをかなり嫌がる。だから怒り腹立ちが起こる。避けられない。避ける力がない。それに対し柔軟心は衝撃を和らげる。だから言葉の通りただ聞けばいい。足りなければ次に活かせばいいし、的を得ないならば差し置いておけばいい。十地経には…

還相廻向

われらは本願によって大悲されている。 すなわち罪悪甚深煩悩熾盛のわれらをたすけんがために、 平等の慈悲に催されて建立された願であるが故に。 南無阿弥陀佛とは完全にわれらに調整された願であり、 敢えて相を摂られた大悲である。 無碍とは観察であり、…

玉城康四郎先生

ダンマ、如来が業熟体に 顕わになり、滲透し、 通徹しつづける。 (ダンマの顕現p252) たまたま先生の本を知る機会が あって、拝読した。 自分は学者の方の本や話はほとんど 受け付けない。 自分から遠い気がするから。 玉城先生のことばは哲学的かつ 求道…

いよいよなんともない

いよいよ元の木阿弥になってきた。聴聞してもまるで頭に入らない。ただ聞くばかり。分かるとか解釈はいらない。即とか不二ということばさえ不十分で、ただ南無阿弥陀佛を聞くばかり。なんのことやら南無阿弥陀佛。やっと3年、まだ3年、沢山いい出会いをいた…

汝の信心を述べよ

ある座談会のこと。 その人は以前別の聞法会で顔を拝見したことのある方。 年齢は70歳前後。 真宗の救いとは何か、それは一切のことを有難く感受することだ、 と要するに こんなことを言っていた。念佛をしてもダメだ、と。 面々が述べ、僕が自分の領解を述…

罪悪甚深

ただ座ろうとしただけなんだ。石に手を置いた。動く赤い点に気づく。あぁ、もう遅い。左手の下に赤い点がついた。虫を殺した。無知が罪悪甚深ということの中身だろう。どうやっても助からぬ身である。すまないと思っているが、この思いはやがて遠くへいって…

菩薩大士

声聞、縁覚にとどまるようではダメである、大乗の菩薩大士は戒める。自利に留まらず、他利、すなわち一切衆生の成仏をともに目指すものを菩薩大士という。なぜ声聞、縁覚ではダメかというと、自利には限界があるからである。自分が分かったとか助かったとか…

智慧

如実知見。いついかなる場合においても、そのままを観察すること。いついかなる場合とは、行住坐臥不問時節ということ。すなわち、いつでもどこでも、自分の都合を通さず、直視すること。そのままを止観する。そこに実相がある。実相とは縁起である。縁起と…

彼はわれだったかもしれない

さるべき業縁のもよおさばいかなるふるまいもすべし(歎異抄) 法治国家である以上、国が定めた一定の規範の中で、 自由を享受し、義務を果たさねばならない。 また規範を逸脱する行為には社会的法的制裁が課せられる。 彼は確かに弱いのかもしれない。酒に…

本願名号正定業

本願の名号は誓いの御名なり。誓いの御名とは法蔵菩薩の大悲なり。法蔵菩薩の大悲とは、我が名を称える衆生が必ず我が国に生まれ成仏するようにという願なり。往生成仏は法蔵菩薩の願なり。煩悩具足のわれら、大悲願力の名号、南無阿弥陀佛によって必ず往生…