我執は否定されることをかなり嫌がる。
だから怒り腹立ちが起こる。
避けられない。避ける力がない。
それに対し柔軟心は衝撃を和らげる。
だから言葉の通りただ聞けばいい。
足りなければ次に活かせばいいし、
的を得ないならば差し置いておけばいい。
十地経には初歓喜地の徳がしめされており、悪名の恐れなしとある。
柔軟心が初歓喜地の徳に等しいはた
らきをなして下さると頂きたい。
佛法は人を器として娑婆に働きいでる。
人を通して法は広まっていく。
ひたすら念佛聞くばかり。
念佛の波が常に煩悩をさらっていく
我執の手を波がさらって
遠くへ遠くへあぁもう見えなくなった
波はたえずさらい続けて下さる
本願の波に任せておけばいい
執着は何度でも出るが本願の深さ、
広さには及ばない。
執着は身があるが故に起こる。
必ず滅度に至らしめると弥陀は仰る
ならば打ち任せるばかり。
南無阿弥陀佛