いまだに、人をうらやむことがある。
自分はこれでよいのだろうか?なぜ、あの人のようになれないのだろうか?
そのとき、声が聞こえる。
「お前はお前のまま行け。我、汝と共に、汝の足となり、汝と共に歩まん。
汝の後生、この弥陀が引き受けた。
今生では、つらいことも悲しいこともあるだろう。
しかし、たとえ、お前のことをすべてのものが否定しても、そしっても、
この弥陀がおる。だから、お前はお前のまま、歩んでゆけ。大丈夫だ」
弥陀の本願。
わたしいちにんのための本願。十方衆生いちにんいちにんのための、本願。
選択本願念仏。
自分は誰にもなれない。たとえ、なれたとしても、私ではない。
私は、私のまま、宿業を引き受けていく。いのちを歩んでいく。
ただし、もう一人ではない。常に共に歩む方がいる。
大丈夫。弥陀が受け持つ。その声をたよりに歩む。ひたすら歩む。
弥陀に任せ、弥陀を信じる。それを南無阿弥陀仏という。念仏という。