むなしさとともに

悲しみが尽き果てるまで共に在る twitter https://twitter.com/oujouwogosuru?s=09 

浄土真宗

浄土真実の行

諸仏称名の願 浄土真実の行 選択本願の行 大行とは、すなわち無碍光如来の御名を称するなり。この行は、すなわちこれもろもろの善法を摂し、もろもろの徳本を具せり。極速円満す、真如一実の功徳法海なり。かるがゆえに大行と名づく。しかるにこの行は、大悲…

横截五悪趣悪趣自然閉

「横截五悪趣悪趣自然閉」といふは、「横」はよこさまといふ、よこさまといふは如来の願力を信ずるゆえに行者のはからいにあらず、五悪趣を自然にたちすて四生をはなるるを横といふ、他力と申すなり。これを横超といふなり。横は竪に対することばなり。竪は…

極悪深重の衆生

極悪深重の衆生は 他の方便さらになし ひとえに弥陀を称じてぞ 浄土にむまるとのべたまう(高僧和讃) 他の文字に左訓あり、 余の善、余の菩薩の方便にては、生死出でがたしとなり。 仏の教えとは、自身に引き当てて聞けよと教えられる。衆生と言っても、具…

方便法身の大悲

今日、ZOOMの聞法会に参加させて頂いた。 研修で使ったことがあったが、プライベートかつ、聞法会では初めてだった。 感想は、改めて、その場に足を運ぶことは、それそのものに力があるのだなということだ。 先生は、悩んでおられた。どうすれば毎年継続して…

慶哉樹心弘誓仏地

慶ばしいかな、心を弘誓の仏地に樹て、念を難思の法海に流す。 深く如来の矜哀を知りて、良に師教の恩厚を仰ぐ。慶喜いよいよ至り、至孝いよいよ重し。 これに因って、真宗の詮を鈔し、浄土の要をひろう。ただ仏恩の深きことを念じて、人倫の嘲りを恥じず。…

善悪のふたつ総じてもって存知せざるなり

いつも善悪で迷っている。どうすればいいのだろうか、と。しかし、誰にとっての善悪か。それを計るのは誰か。自我、自分に真の智慧なし。故に総じてもって存知せざるなり、と仰る。時と場合、状況、心境によって自我の物差しは変わる。自身を守るために。誠…

教行信証

春が来れば桜が咲く。桜は冬の間も根を静かに張っている。 淡々と、静かに。着々と、確実に。 根を張り続ければ、自ずから時が来れば、花は咲く。咲かそうと意図しなくても咲く。 だから、すべきことは原点、基礎、基本を反復して身につけ、現実に教えを体現…

自然なる思案

十牛図という譬えがある。見性を通り、一周回って元に戻る。元に戻ったが、実は全然中身が違う。そして、最後は市井の人として、人々と交わり、酒を呑み、談笑し、伴に涙を流し、死んでいく。こういう格好つけない普通の姿に心惹かれる。なぜなら、全く無理…

忘れてはならぬこと

われもかれも、ただびとなり。 このことを忘れて高いところに行こうとする。人間は高くて明るいところが好き、 低くて暗いところへ行こうとしない。むしろ、避けるし、忌避する。しかし、身が大事なところなのだ。だって、自分の存在の現実、実際でありまし…

佛様の無限大悲

ただ念佛して弥陀にたすけられまいらすべし というよきひとの仰せ。 わが名を称えよという本願。 助からぬ存在、すなわち、自他を傷つけ、 貪り、本当に進むべき道も分からず、 ただ立ち尽くし、傍らにうずくまって、 誰からも見放され、見捨てられた存在た…

追記あり 佛説寂静禅経 

最近は便利ですね。 youtubeで初めてこのお経を聞かせて頂きました。 https://m.youtube.com/watch?v=Ruzln5iWVec このお経は直接的には浄土真宗と 関係ないように聞こえるかもしれない。 しかし、全く浄土真宗の教えに 等しい響きがある。 浄土真宗の念佛の…

悲しみの大地を踏みしめて

極重悪人唯称佛(正信念佛偈) 自分自身は決して助からぬ存在であり、 無有出離之縁と釘を打たれている。 だからと言って、自分だけの救いに留まる ことはできない。そんなものが何になる。 見よ。この悲惨で悲しみと嘆きと疲労と 空虚と差別と崩壊に満ちた…

忍耐は練達を

一年を振り返ると、またたく間だったような 気がするが、実りある一年だった気もする。 何が実りかというと、言葉にはならないのだが。 年末に次の言葉に出会った。 苦難は忍耐を。忍耐は練達を。 練達は希望を生む。 キリスト教のお言葉らしい。 練達とは柔…

ただ聞かせて頂くばかり

本願力回向で往生せしめられる。 平等の慈悲にもよおされて、 あまねく一切を摂せんとわれらのために 立ち上がってくださったのが、法蔵菩薩で あると教えて頂く。 いちいちの本願にのたまわく、 われ汝を往生させずば、誓いて佛になること あることなし、と…

真実に出遇う

人間は真実を掴むことはできない。 即ち有限なる故に。 真実は無限なり、はかりなきいのち、 はかりなきひかりと仰せられる。 掴むこと能わずとも値遇することは できる。即ち乃至十念若不生者不取正覚の 誓いに帰命する一念の信心起こるとき、 摂取不捨の大…

東山魁夷という画家の作品に、「道」というものがあります。 描かれた道は、これまで辿ってきた道でもあり、 これからまだ続いていく道でもある。 東山氏はこんなふうに仰っていた。 阿弥陀佛の本願は如何なる衆生であっても、 その存在に対して垂直かつ不断…

信心の純化と柔軟心の成就

藤谷秀道先生のことばです。 十地経が初歓喜地から法雲地まで述べられて いることにも関わってくると思うのですが、 たとえ信心決定しても、煩悩を具足、即ち 身にまとっていることは変わらぬのです。 それどころかいよいよ深く、浅ましいことを 如何に知ら…

名無往生文 大乗 浄土真宗

煩悩はそのままである。 煩悩がなくなるわけではない。それどころか、いよいよ煩悩が深い。 浅ましいわが身の現実はいよいよ悲惨である。食べること、差別し、区別することを やめることができない。むしろそれを楽しんでいる。 埋没している。埋没とは、す…

愚者なりて往生す

親鸞聖人がご晩年に法然聖人から聞いたことを ご述懐されたお言葉です。 このお心を尋ねますに、念佛に帰れということでありましょう。 分かったような気分になる。助かったような気になる。 自分の思いはいらんのであります。 自分が助かるか助からないか知…

無明の闇を破するゆえ智慧光仏と名づけたり

この人はあなたにとっては、取るに足らないただの人かもしれない。 しかし、僕にとっては、かけがえのない、唯一無二の大切な人である。 僕はあなたの大切な人はわからない。 あなたは僕の大切な人がわからない。 互いにお互いの存在の尊さ、大切なものが何…

本願招喚の勅命

帰命は本願招喚の勅命なり(顕浄土真実教行証文類 行巻) 私のようなものは、如来の御名を称える資格はありません。 私のようなものは、煩悩と生死から離れることができません。 私のようなものは、誰かを傷つけずに、あるいは何かの命を奪わずに 生存するこ…

もろともに

あまねく一切を摂せん。この御心が佛心であると頂く。 この御心は平等の慈悲に催されて起こったという。 我らは法蔵菩薩の平等の大悲願心で、必ず報土、すなわち 法蔵菩薩の本願に依って建立された、本願に報いた国土へ 往生せしめられるのである。そこにも…

念佛の大悲まします

失踪というテレビ番組を見た感想を書く。 おそらく誰かに自分を受け止めてほしい、 大事にされたいのだろうなと思った。 失踪し家を離れた彼女たちは言っていた。 自分には何の価値もない、と。 親鸞聖人は、いしかわらつぶての如くなる われらと仰った。 ど…

自分は何者であり、ここはどこか、が破られる

浄土真宗の救いとは、二種深信であるといわれる。 智慧による深信である。深信とは決定、確定である。 そこに何かが介在する余地は微塵もない。故に決定であり、 確定である。 自分は間違いなく如来の仰る凡夫であるということ。 つまり、決してタスカラヌ身…

自分に用事なし

喜び心もありがたさも嬉しさも悲しみもむなしさも称える口にも 微塵も用事なし。 ただ称え ただ聞くばかり 聞くより他に道はなし タスケルと聞こえる弥陀の喚び声。 仰せの他に用事なし。 南無阿弥陀佛

中道 追記あり

偏らない。 善悪に依らない。此岸にも彼岸にも依らない。今この身このまま。 過去にも未来にも依らない。ただ今に足を下ろす。 如来の仰せをただ聞き、随い、念佛を申す。 原始経典(中村元先生訳)を拝読している。 平易なお言葉で簡潔に説いて下さっている…

仏恩を思う

南無阿弥陀佛という声にまで、お成り下さり、 常に呼び掛け、抱き続け、照らし続け、言い当て続けてくださる、 無量寿仏に深く帰依致します。 帰依する心さえないので、帰依する心まで回向下さって、 助けるぞと呼んでくださるのが、今口に称え、耳に聞こえ…

すべて知っているよ

光明は智慧なりと親鸞聖人は仰った。 この言葉を味わうに、智慧とは、全てを見通す力、神通力のように 思っていたが、そうではないと思う。 人の痛み、悲しみ、苦しみを感じられるのは、 その人が身をもって、それらを味わったからこそ、 それらを何とかして…

悲しみ歎き

悲しいなと感じることが多い。 自分は、そのものを見ることができない。 うわべもほとんど分からない。況やそのものをや。 自分の判断基準をもって、その人をその存在を区別し、価値づける。 それが決して止まない。動きどおしである。 そして、欲。湧いてく…

形から心を見出す

心は形をとって現われる。 形を通して心を見出す。 どれだけ心を粗末にしてきたか。どれだけ見落としてきたか。 心は必ず形をとって現れる。 形を通して心を見出す。 今年、自分が生活から確かめていかねばならない課題だと感じた。 法性法身は形をとって現…