むなしさとともに

念佛とはむなしさを横超する大行なり。専ら聞くばかり。ともに聴聞しましょう。もろびとみなともに。

目的と手段が統合される

日常では、目的が先で、手段が問われる。

 

むなしいとは、目的や意味を見失っていると

 

言えないだろうか。だから、白けたり、

 

真面目にするのが馬鹿馬鹿しく思える。

 

今、お前はどうだと問われるとする。

 

われ、今はただ一向に行ずるのみ。

 

もはや結果、あるいは、意味目的を問わず。

 

ただ一隅をわが分限を以て体当たりするより

 

ほかに道なし。

 

われ、物事の善し悪し、往生成佛の資糧を

 

知りうる境涯にあらず。

 

われ、凡夫なり。

 

因果必然の道理まことなれども、われ、

 

如実の悪を知らず、止める力もまたなし。

 

故に悪業と思しき行を行じ、悪口両舌、

 

雑行雑修の身のまま、無量寿佛のわが名を

 

称えよの仰せに順ずるばかり。

 

よって、

 

もはやただ縁ずるところを行ずるばかりで、

 

悪果を恐れず。むしろ必然の道理にただ

 

嘆ずよりほかなし。

 

無量寿佛によりかかるばかりで幸いなり。

 

まことに無量寿佛のはかりなき大悲に

 

抱かれ、支えられ、一日を過ごす。

 

不可思議なる智慧、底知れぬ大悲を想う。

 

われらは無量寿佛の大悲に助けられて

 

平等に無量寿佛国へ往生せしめられる。

 

南無阿弥陀

 

理不尽な出来事に遭遇したとき、

 

おそらく何もできず立ち尽くすしかないかも

 

しれない。そういう力のない自分であり、

 

身が動かない、相手の立場に立てない自分で

 

あり、無慈悲であることを繰り返し

 

知らされること、

 

そこから目を逸らさないことが大切なこと

 

だろうと思う。悲しいことが起こり続ける。

 

ここは娑婆であり、願うらくは寂静であり、

 

寂滅である。