むなしさとともに

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にんげん

歎異抄聴記⑨七地沈空の難を超えさせてくださるもの

念仏に張り合いがない、勇みがない、勇猛心がなくなってくる。これがつまり菩薩のうえでいえば、七地沈空の難である。これは菩薩のある倦怠期である。求むべき菩提もなく、度すべき衆生もない。(p258 歎異抄聴記 曽我量深師) 解ったという喜び。 確かにな…

地獄について

地獄について思う。 地獄は世界があるのではなくて、自分の居る場所において、自分が感得するものであろう、と。人間界は六道の相があるという。この言葉にも感じ入るものがあるが、別の機会とする。 どうしてもそこに居れないところを地獄という、と師は仰…

歎異抄聴記⑧後念相続

われわれは常に信の一念に立つべし。われわれは後念に立つということはないものである。われわれは常に信の一念に立てというのが、第九条のご教訓の精神である。いのちのあらんかぎりはむろん、乃至一念である。(歎異抄聴記 曽我量深師p258) 僕自身は歎異…

この頃のこと

ブログの更新頻度が落ちています。 仕事がなかなか忙しく、人足が減っているけれども、新しいことにも業務領域を広げつつあります。 3つの業務に加え、4つめの内容です。業務というまではいかないけれど、企画提案の要素があります。提案したものを現実に…

歎異抄聴記⑦本願の機は誰か

身とは一生涯変わらぬ自分である。自分の心は時々刻々に変わるが、わが身は一生涯貫通して変わらない。ゆえに「自身」という。衆生とはすなわちわが身である。われら衆生である。「罪悪深重煩悩熾盛の衆生」。すべて宿業に悩まされている苦悩の衆生をすてず…

この世界に所属するということ

最近はTwitterも頻度が減ってきました。 なぜかなと思うと、ご利益によるのだと思うのです。批評家に陥りたくはない。言葉だけでなく、言葉と行を以て現実に向き合う時、問題は他者ではなくて、自身だと思うのです。 他者のことを批判できる者なのか、と。 …

歎異抄聴記⑥信心の徹照

なぜ信心をもって肝要とすというかとならば、罪悪深重である。ただ信心だけはいっさいの自力の機のはからいをすてて、自力無効としてもっぱら深く如来をたのむ信心、それに対して罪悪深重という。本願を深く信ずる人はやはり深く自分の罪悪を信ずる。罪悪の…

思うところ

法座に身を置くと、時に、頭がこんがらがるというか、部屋の中がとっ散らかるような、そういうことがあります。 今日が当にそれでした。オンラインでもこういうことが起こるのですね。 はからいが間に合わないのですね。多分。 わかっていたつもりが、全くわ…

無信の自身

最近はまとまった時間を取りにくいため、ツイッターを使うことが多く、 ブログの更新が滞りがちです。まぁ、やることが多くて、昨日はほぼ一日寝ていた感じです。身が疲れているのでしょうね。 歎異抄聴記は非常に難しく、遅々として素読が進みません。 なの…

歎異抄聴記⑤所行能信

われわれのとなえる念仏もまた、所行におさまり、われわれがとなえたからからといって、やはり能行ではなく、たとえ、信以後にとなえたからといって、やはり所行である。能行というわけにはいかないのである。これは真宗学としては、もっとも古い真宗学であ…

雑記

忍耐が試される場面が続いている。 正直、かなり理不尽な事象であるし、腹が立つし、イライラする。 ただ、ふと考える。 この事象は何なのだろうか?と。 立ち止まると考えざるを得ない。 立ち止まると、掘り下げる。 掘り下げるとは、思考やふりかえり、或…

聞名の念佛

南無阿弥陀佛とは、佛の名である。 このことを疎かにしているのでないかと思う。 念佛を申すというのは、佛の名を称えることであり、称えることは即聞くことである。 自問する。 佛の名を称えるような心が自分にあるか? 否、皆無である。 どこをどう探しても…

十方衆生ということ

唯除五逆誹謗正法とは、最底下ということ。 すなわち、自分の後ろには誰もいない、十方衆生はいないということ、これは自分自身の言葉。 先生から頂いた言葉があり、時折思い出す。 尽十方無碍光如来の尽とは必ず最後の一人まで助け遂げるということだ、と。…

心、言、行

4月にはいり、新しい期か始まりました。 12月末から1月を迎える新年よりも、 3月末から4月に入る時のほうが、季節が春に なることと相まって、新しい年という感じが します。 最近思いますことは、準備が大事なのだなということです。 余裕をもって、事前に…

少しずつ再開していきます

春の嵐というのでしょうか。 なかなか雨風が強く、外出にも一苦労でした。 一区切りがついたので、ぼつぼつブログを再開しようと思います。 この2ヶ月で、体調を崩したり、ほぼ聞法には行かずに過ごしていました。まぁTwitterは結構やってしまっていました…

云いたいこと

自分には信心がないと知らされることが肝要だとつくづく思っています。 南無阿弥陀佛

弥陀の本願信ずべし

弥陀の本願信ずべし 本願信ずるひとはみな 摂取不捨の利益にて 無上覚をばさとるなり (親鸞聖人 夢告和讃) 更新あまりできず、すみません。 ツイッターだとすっと打てるので良いのですが、ブログはちょっと気合いれんと、よぅ書かんです。 あー、僕は田舎…

年末を迎えて

昨日が仕事納めでした。無事終わったので、ビールを久々に頂きました。キリン一番搾り(笑) 今日は家の掃除をしました。やはり、まとまった時間がなければ手をつけられぬ箇所があり、そこもふけたし、洗えたのでよかったです。 さて、一年を振り返ると、や…

特に意味はないし、なくていい

メダカが3匹居る。 彼らに朝食を注ぐところから一日が始まる。 ここであるひとがいうとする。 そのメダカらは汝に何の意味をもたらすか? 自ら答えて曰く。 このメダカらには特に意味はないし、自分にはわからない。パパとチビと呼ぶ。小さなもの2匹に区別…

徒然なるままに

徒然なるままにひぐらし、硯に向かいて、でしたよね。徒然草って。 小学生の時、徒然なるままに、という言葉を聞いて以来、何となく、この言葉の響きが好きです。無理がない感じ、自然に流れる感じがするのです。 念佛往生の願というのは、仏さまのおはたら…

残酷な世界

世界は残酷だ。 進撃の巨人ではないが、やっぱりそう思う。 ここは平等な世界ではなくて、あまたの差異があり、不均一である。 自分の居場所はどこにもなく。 それぞれは居場所と思しき場所を懸命に守っている。 居場所と思しき場所は、有限であり、それを保…

宗祖親鸞聖人より③本願に帰す

親鸞におきては、ただ念佛して弥陀にたすけられまいらすべしとよきひとの仰せをかぶりて信ずるほかに別の子細なきなり (歎異抄第二条) この言葉は道を定めて下さるお言葉である。 よきひとの仰せをそのまま頂き、念佛するよりほかに道あることなし。 この…

宗祖親鸞聖人より②発心

仏法を行ずる人よ、よくよく知らねばならぬ。仏法を知識として学ぼうとするなら、凡夫から聖者にいたり、さらにそのうえ仏果にいたるまでも、みなさわりなく学ぶことができる。しかし、仏法をわが身に行じようとするなら、必ず自分にゆかりのある教えにたよ…

凡夫の痛み

汝、凡夫なりと自覚せしめられる時は痛みを伴う。 全くの凡夫にすぎないことを知らされる事を できるだけ避けてきたのだろう。 でも、この鋭い痛みが拓いて下さる世界がある。見せて下さる衆生がいる。 だから、目を逸してはいけない。 目を逸してしまった人…

宗祖親鸞聖人より①人と生まれて

ああ夢幻にして真にあらず、寿夭にして保ちがたし。呼吸の頃に、すなわちこれ来生なり。一たび人身を失いつれば、万劫にも復せず。この時悟らずは、仏もし衆生をいかがしたまわん。願わくは深く無常を念じて、いたずらに後悔を胎すことなかれ。 東聖典p183-1…

ZOOM研修会でお話したことの引文

一週間前に、ZOOM研修会がありました。 主催の一員ということで、お話をさせて頂きました。 僕は僧侶ではないですし、教学もないですし、講義ではないので、あえて聖典をめくることはしませんでした。 しかし、聖典の言葉を引いてお話はしたつもりなので、こ…

日常に埋没しつつも

今回の会座が終わってから、もう四日??? 時間が経つのは早すぎる。。 しかも、今月は色々なイベントがあり、 今日は、仕切らなければならなかった。 向いていないんですよね、元来は。 でも、やる以上は、安全に配慮し、最後まで 手を抜かず、油断せずに…

現実が大切だと思う

このことはよく分からなかったのですが、 本当に現実が大切なんだと思うのです。 一人ひとりが居られる現場のことです。 ここで問われるのです、自分の在り方が。 傍観者になるか、当事者になるか。 心境にとどまるか、表現するか。 即ち往生の問題です。 正…

2日間、ありがとうございました

さきほど、お土産を何にしようか迷いました。 決めるまで時間がかかりました。 多すぎて何を選べばいいか、わからんのですね。こっちがいいか、選んだあとに、もっとよいものがあって、折り返したり、うろうろしました。 なるほど、多すぎると選べないのだと…

如何でしたでしょうか

研修会に参加頂いた皆様、お疲れ様でした。 おかげさまで、一日目を過ごすことができました。 寝床に居て思いますのは、皆様の話を聞かせて頂くことかとても大事なのだなぁと思うのであります。 ともに助けられるわれら、これが大乗なのだろうと感じるのです…