むなしさとともに

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南無阿弥陀佛

南無阿弥陀佛はまことのかたち。

 

かたちが心を貫く。

 

貫いた心はかたちをどこまでもまことに仕上げていく。

 

貫いた心を、如来の一心という。

 

あぁ尊いまことのかたち。

 

無量寿命、無量光明よ。はかりなきいのちとひかりのまことよ。

 

かたちがなければわれらに手だてがない。

 

手だてがないとは、無縁であるということ。皆無である。常没である。

 

常没の凡愚のために、無縁の大悲があえて形をとってくださった。

 

このことを慎んで、ただ頂くばかりである。

 

念佛は一声も称えられるものではない。称えさせられ、

 

聞かされ、往生させられ、成佛させられる。如来のひとりばたらき。

 

南無阿弥陀

光明とは智慧、照らすはたらきとおっしゃる。

 

照らすとは暗がりを浮かび上がらせるものである。

 

暗がりとは何か、自分の心の動き、現実の姿のありようのことを指す。

 

すなわち、暗がりを暗がりと指し示すものを光明という。

 

暗がりは暗がりである、というところに、智慧がはたらいておられる。

 

如来とは運動の概念である、と和田先生は仰っていた。

 

つまり、はたらきのことを如来と仰るのである。

 

南無阿弥陀